〇秋の彼岸明け
今年の秋の彼岸は9月18日に入り、22日を中日として25日に彼岸明けします。彼岸に入る2~3日前にシキビを持ってお墓に出かけ、掃除をしたりシキビを活けたりして、親族がいつ墓参りに来てもいいよう準備をしました。田舎ゆえ私と同じような考えの人も多く、日ごろはひっそりとしている墓地周辺もいつになく人影を見かけましたが、中にはシキビが枯れたままになったり、草生して訪れる人もいないお墓もあるようで、人の世の無常を感じたりしました。
わが家の墓地は昨年の7月に親父が亡くなって間もないので、仏事が頻繁にあって、それまで以上に足繁く墓地を訪れるようになっていますが、私がかつてそうであったように息子夫婦も、私たち夫婦ほど墓参りはしません。でも墓参りの習慣だけは何としても子や孫に伝えておきたいと思っています。昨日は妻と二人で、妻の実家である八幡浜へ墓参りに出かけました。午前中は天気もよく、八幡浜湾を見下ろす墓地の急な坂を登りましたが、少し暑いくらいで、墓掃除をしたり持参したシキビを活けたりしただけで、大汗をかいてしまいました。
実家の兄夫婦もこのところ病気がちで、今年の彼岸は墓地の掃除もままならなかったようで、墓参りの後実家に立ち寄りましたが、私たちの毎年欠かさぬ墓参りを大層喜んでくれました。実家は一人息子が故郷を離れ東京に住んでいるため、墓地の行く末も案じられます。最近はお墓のあり方が随分様変わりして、お墓無用論まで取り沙汰されています。長年連れ添った夫婦でさえ一緒のお墓には入りたくないとか、ペットと一緒のお墓に入りたいとか、お墓事情は様々です。
私たちは誰から生まれ命を引き継いでいるのでしょう。自分の両親、両親の両親と遡って行くと、私の先祖は10代前には何と1024人もの人間がいるのですから驚きです。誰を産み誰に命を引き継いで行くのか、お墓は別として人間のルーツをあらためて考えました。人はどうであれ自分という人間につながる過去や未来をどう考えるのか、息子への委譲も含めて今一度同居している息子夫婦とじっくり話をしてみたいものです。捨てるもの、遺し伝えるもの、そろそろ終活の時期かも・・・・・。
「今年も 秋の彼岸が やって来た あっという間に 一週過ぎた」
「墓参り やたら目に付く 枯れシキビ 恐らく彼岸 訪れもなし」
「最近は お墓無用と 言う人も ペットと一緒 言語道断」
「人は何故 自分のことだけ 考える 先祖があって 自分があるのに」