〇八幡浜市日土を訪ねる(その2)
私が日土の清水さん宅を訪ねるのはこれで3度目です。前回訪ねたのはもうかれこれ5年前ですから、どの道を行けばいいのか少々不安でした。妻が所用でどうしても自家用車を使うため、私は軽四トラックを使うことにしました。午後1時30分にしもなだ運動公園前で松本さんと待ち合わせして、海岸国道378号線を走りました。ゴゼヶ峠の長いトンネルを抜けて保内町へ入り、若松蒲鉾店辺りから谷に沿って日土を目指しました。途中日土東地区に立ち寄ったため、清水さん宅到着は集合時間5分前となってしまい、清水さんを含めた10人ほどの会員は既に到着して、改装なった古民家母屋の畳の間で早速、年輪塾あらし山塾が始まりました。
まずそれぞれが持参した中国の古書「大学」の素読を順番に行い、清水塾頭が解説する方法で2時間ばかり学習しました。尊徳翁夜話の中から59話、1話、80話、100話、114話、218話、21話、142話、38話、39話、207話、176話、42話をそれぞれ読み出し、さすが塾頭だけあって大学と夜話の相関をたっぷり解説してくれて堪能しました。大学も夜話も難しいと思えば先に進めませんが、自分たちの暮らしに置き換えると案外理解しやすいようです。そのあと宮沢賢治の「農民芸術概論要綱」について議論を深めました。その冒頭に「おれたちは農民である。ずいぶん忙しく仕事をしてつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。われらの古い祖父たちの中にはそういう人も応々あった。」とか、「曾つてわれわれの祖父たちは乏しいながら可成楽しく生きていた。そこに芸術も宗教もあった」と述べられています。
清水さんが言わんとしていることは、この宮沢賢治の文章に凝縮されていると思いました。自分の祖父伝来の家をリフォームして、宮沢賢治の生き方に共鳴するように再起動した清水さんの生き方に、自分自身の生き方を重ねながら、さてこれからの人生をどう生きるか考えました。作家童門冬二が小説中江藤樹の中で「処士」について述べていますが、私は「処士」を「処志」と位置づける運動を興そうとしています。つまり「処」は人が集る寄り所となる場所であり、「志」は「こころざし」です。清水さんは私が私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を手に入れたように、「あらし山山荘」を手に入れました。他の年輪塾の塾生も、「処」と「志」を手に入れるよう努力して欲しいと願っています。
「久方に 日土山奥 あらし山 訪ね私塾の 学び大学」
「田舎住む 人の殆ど ぶつぶつと やらないことを やれない言いつつ」
「芸術を 持てば田舎に 住むとても 日々の暮らしが 生き生きできる」
「私塾にて 処志を育てる 運動を 興した矢先 山荘できる」