〇家から見える夕日は間もなく見納め
さすがにお盆を過ぎると、日中はまだまだ残暑が厳しいものの、朝晩は幾分しのぎやすくなってきました。家の下の田圃の稲も稲穂がたわわに実り、少し黄色く色づき始めたようです。最近は健康志向を反映して減農薬栽培が徹底して、この頃になるとうんかの発生を抑えるため、夕暮れころ真っ白い粉を撒き散らしてた農家の人の姿もすっかり見なくなりました。
秋の訪れは太陽の高度や位置にも変化が現れ始め、上灘川に沿って開けた谷筋に位置するわが家では、家から夕日を見ることができるのが二百十日ころまでなので、そろそろ終わりに近づいていきました。今年の二百十日は9月1日なのでもう一週間もすれば太陽は西の端に沈んでまた来年の四月下旬まで海に沈む夕日を見れるのはお預けとなるのです。昨日は台風16号の接近等微塵も感じさせない良い天気に恵まれました。
久しぶりに夕方の散歩を終えてから家の裏山に登って、沈み行く夕日を一人観賞しました。家の前の庭先の広場で息子と孫がキャッチボールをしていましたが、夕日を背にした親子のシルエットシーンも中々のものでした。そういえば息子が言うのには「お父さんと僕はキャッチボールなどした覚えがない」そうです。若いころは公民館活動に明け暮れ、その後は夕日によるまちづくりに情熱を燃やし、家庭の子ども等にかまってやれる時間は殆どありませんでした。
それでも21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを結成し、無人島に挑む少年の集いやモウーモウー塾、丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居造りなどなどを行い、自分の子どもを含めた巻き込みをやったお蔭で、4人の子どもたちもそれなりに成長しているのですから良しとしなければなりません。こうして初秋の夕日を見届け、平凡ながら平和に暮らせることに感謝して、これからも生きて行こうと思っています。
「盆過ぎて アカネトンボと ヒグラシが 一緒に初秋 演出をして」
「秋が来た 家から夕日 見納めと 裏山上り 一人観賞」
「息子と子 夕日の照らす 中庭で キャッチボール シルエットなる」
「家の前 田圃の稲も 黄ばらんで 早くも秋が 来たよと告げる」