〇中国の古書「大学との出会い(その2)
陽明学の始祖として名高い中江藤樹が、「大学」を読んで感動したのは11歳の時です。私が下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎の銅像の、左手に持って読んでいる本は何?と不思議に思って台座の上に上がったのは、小学校2年生の時です。小学校2年生といえば8歳なので、私は中江藤樹よりもさらに3年も早く大学の本を読んだことになります。しかし凡人の私はその意味不明な26文字の漢字を読むことができなかったばかりか、「馬鹿たれ。あそきにはいろはにほへとと書いている」と、私を諭すことなく台座に上がったことを叱るだけの凡人校長との出会いで、大学という本との出会いは潰えたかに見えました。
しかしその後、私と「大学」という本との出会いは意外な方向へと発展して行きました。たまたま出張で北陸へ行った帰り道、夜行高速バスに乗るため大阪梅田のバスセンターに立ち寄った際、待ち時間を利用して近くにある梅田の古書街古書店の入り口に並んだ古書の中に、ノジの抜いた古ぼけた「大学」という袋綴じの本を見つけたのです。値札には1万円の値札がついていました。早速店の中へ入り店番をしていた若いバイトの女性に話しかけ、「私は四国の田舎から出てきました。あいにく持ち合わせがないしどうしても欲しいので3千円にして欲しい」と頼みました。その女性は「お客さん1万円を8千円にして欲しいというのなら分りますが、3千円では話しになりません。社長に叱られますので駄目です」と突っぱねられました。
「じゃあ中を取って5千円でどうでしょう」と再び話を持ちかけると、「仕方がありません。中を取るということで5百円上乗せし、5千5百円ならお売りしましょう」と商談成立です。私は嬉しさを噛み殺し、新聞に包んでくれた店員の女性の華奢な白い手の平に5千5百円」を手渡し、バスに乗り込みました。その夜はバス内の読書灯の灯りを頼りに、朝まで読めないのに「大学」の本を興奮しながら朝までなぞりました。以来古本の「大学」は手元に置き、金次郎像が読んでいる「一家仁一國仁興~」を反芻し続けていますが、難解な漢文ゆえ読み方も定まらず、ましてや意味などまったく分からなかったのです。のちに私が塾長を務める私塾年輪塾での学びのテーマを二宮金次郎(後の尊徳)、さらには中江藤樹を選んだこともあって、大学は塾頭によって輪読用のルビをつけた台本まで出来、また意味も解説文をつけてネット配信してもらい、念願の「大学」という本の全容が明らかになってきました。
「校長が いろはにほへとと 言ったこと 手っきり私 信じていたが」
「北陸へ 行った帰りに 大阪の 梅田古書街 大学見つけ」
「一万円 値切り倒して 5千円 5百円だけ 上乗せ買って」
「金次郎 銅像読んで いる本の 一節何度も 繰り返し読む」