〇町民会館の解体工事始まる
旧双海町という自治体は過疎地域に指定されていました。指定されると作成した過疎計画に沿って過疎から脱却するため、過疎債という国の有利な資金恩恵を受けて、様々な施設や設備を整備できたのです。町ではさらに農林省の定住促進などの補助を得て農林漁業者トレーニングセンターや基幹集落センターなどを建設し、多くの町民が利用してきましたが、ここに来てこれらの諸施設設備が幾分くたびれて、耐震基準に適合しなくなったのです。
長年町民に愛され利用されてきた基幹集落センターもその一つで、最近はその後の計画もないまま使用禁止になっていましたが、跡地を駐車場にする案がまとまり、このほど解体工事が始まりました。足場が組まれ囲いで囲われた通称町民会館は、私にとって思い出の多い施設でした。特に双海町最後の教育長として勤務したのはこの施設でした。正面玄関の入口にある一部屋を教育長室としてあてがわれ、35年間勤めた双海町役場職員としての最後の2年間を過ごしたのです。
この町民会館は各種会合の他、町が推進する結婚改善運動でも大いに使われました。私はこれまでに驚くなかれ537組もの結婚披露宴の司会をしていますが、その殆どはこの2階大ホールでした。多くの若者がこの会場で結婚式を挙げ、人生のスタートを切ったのです。外から遠目でしか見えない2階大ホール内を窓越しに見ると、華やいだかつての思い出が鮮やかに蘇って来ました。間もなく施設の解体は終わり新地になることでしょうが、この施設での思い出は私の脳裏から一生離れることはないでしょう。
私は冷房が嫌いでした。ゆえに教育長2年間だけでしたが、自分だけの時は一度も冷房をかけることなく、毎日大きな窓をいっぱい開けて、外の風を取り込んで過ごしました。窓辺に置いた手づくりの竹の赤トンボが風に揺れ、まるで生きているように見えました。窓を開けているので通りすがりの人がよく声をかけてくれたものです。人間牧場で開いている私塾年輪塾の塾頭をしてくれている清水さんと、初めて出会って経済談義に花を咲かせたのもここ、小番頭の松本さんや中尾さんと一緒に仕事をしたのもここでした。懐かしい。懐かしい。ああ懐かしい。
「耐震に 適合しない レッテルを 張られ建物 取り壊わされて」
「あの部屋で 結婚披露 司会した 指折り数える 数の多さよ」
「あの部屋で 最後の仕事 したっけな 思い出彼方 夢のまた夢」
「この写真 もう二度と 撮れないと 思うと何故か 胸がつまりて」