〇夏、あれやこれや
天地を焦がすような猛暑が続き、そろそろ一雨欲しいと思いつつ家庭菜園のナスと里芋に、薮蚊やブトに悩まされながら、潅水を始めて一週間が経ちました。その願いが天に通じたのか、今日はウォーキングから帰った朝6時過ぎから雨が降り出し始めました。4日前の夕立以来のお湿りで、今日は潅水をする必要もなく、少しのんびりとした朝を
迎えています。
上天気が続いた昨日までは、毎日のように綺麗な夕日がわが家からも見え、連日デジカメで写真を取り続けています。ありふれ感のある夕日の写真をブログ記事やfacebookにアップしても、誰も振り向いてくれないだろうと思い、パソコンにフォトストックしていますが、8月10日に双海の仲間が貸切で運行した、夕焼けビール列車の記事や写真が載る度に、案内を受けながら乗れなかった残念さが胸を過ぎり、次回は必ずと思いを新たにして、ストックした夕日の写真を見直しています。
4日前の8月8日は立秋でした。暦の上では秋が始まり、あいさつ状も「暑中見舞い」から「残暑見舞い」へと言葉を変えなければならず、朝夜が明けるのが遅くなり、夕暮れも少し早くなって「秋来ぬと目にはさやかに見えねども~」の感じがしています。妻の兄の奥さん、つまり私にとっては義姉にあたる身内が、四国ガンセンターで子宮胎ガンという少し重い病気で入院していて、昨日はその手術日でした。私は午後から講演予定が入っているので、とりあえず朝7時に家を出て、四国ガンセンターへ8時30分に着き、病室で9時からの手術をする義姉の病室へ入りました。
手術前の重苦しい空気が漂う病室で、義兄や息子と義姉を元気付け、やがて車椅子で手術室へ向う義姉をエレベーターまで見送りました。手術医師の話で手術には5時間~7時間かかるらしく、病室で何をするでもなく雑談しながら待ちました。12時近くになったので私は講演会場へ向かうため、一旦病室を離れました。手術が終わるころに妻も病院に駆けつけ交代する予定でした。講演が終わり自宅へ帰ると孫希心が一人留守番をしていました。孫希心も熱中症で体温が高く、鼻血まで出て最悪でしたが、やがて帰った若嫁が近くの病院へ連れて行き、点滴をしてもらって、少し病状が収まったようでした。
夜遅く帰った妻に聞けば義姉の手術は7時間以上にも及んだとのこと、夫たる義兄も2度にわたってガンセンターで手術を受けるなど、あれこれと難儀が続いています。親父の終末も重なり妻の疲労困憊ぶりも気になるところです。せめて私だけでも元気で家族に迷惑をかけないようにしなければと、思いを新たにした朝でした。お盆が近づき町中が少しざわつき始めました。明日は迎え火を焚いて先祖を迎えなければなりません。今朝も妻はお料具膳と重ね団子を作り、仏壇に供え般若心経を唱えています。
「乗りたいと 思っていたが トロッコに 乗ることできず 少し消沈」
「天地焼く ほどの太陽 今日はなく 雨シトシトと 畑を濡らす」
「ガン手術 する義姉病院 朝早く 出かけて見舞い 頑張れ激励」
「あれやこれ 気揉めすること 多過ぎて 妻の疲労も 極限のよう」