〇ミニマリストへの道
戦時中の昭和19年に生まれ、今年70歳になった私は、日々の暮らしの中で「古い時代の人間」だと思うことが沢山あります。その際たるものは言葉で、英語や新語が得意でないため、テレビのコマーシャルや人との会話を聞いても、理解に苦しむことがしょっちゅうで、特に意味不明の流行語や外来語を聞くと若い頃はメモをして、辞書で調べたりしていましたが、最近はそれさえ億劫になり、分ったようなふりをして何の手合いもなくやり過ごしているのです。
昨日テレビで「ミニマリスト」という言葉を聞きました。極力身の回りに物を持たずに暮らす人のことだそうです。着る物や小道具なども生活に必要なものを最小限に留め、シンプルな暮らしをするのだそうですが、その人たちから見れば、現代人はまるでゴミの中で暮らしているようだと言うのです。確かに私たち現代人はありふれた様々な物に囲まれて暮らしています。日々そんな豊かな暮らしをしている私たちが、果たして「ミニマリスト」になれるかどうかは、正直なところ私自身首をひねりました。
わが家は代々長男が後を継いできたいわゆる本家です。ゆえに倉庫の中などには一年に一度どころかこの10年間、20年間一度も使ったことがない漆器や陶磁器皿などが山のように眠っているし、年中行事である正月の餅つき道具だけでもかれこれの量なのです。勿論処分したいものも沢山あって、捨て切れない弱さを垣間見ながら老いの坂道を下っているのです。それでも息子たち家族と同居するようになって、私たち夫婦の意識は幾分変わり始めました。それは若嫁の暮らし方が影響しているのです。若嫁は綺麗好きで、不必要なものは極力買わないし、不必要と判断したら躊躇することなく捨てています。私たち夫婦から見れば若嫁も「ミニマリスト」というに相応しい人間なのです。
親父も大正7年生まれの古い時代の人間なので、道具類を沢山持っていますが、96歳という年齢のここに来て、身の回りの暮らしは外出も人付き合いも殆どしなくなったため、私たちから見れば「ミニマリスト」なのです。こうしてみると一番「ミニマリスト」でないのは私たち夫婦だけなのかも知れません。そこで今日から、「買う」でなく「捨てる」を基本に考えた「若松進一ミニ・ミニマリスト変身大作戦」なるものを実行してみようと思い始めました。「できるかどうか分りませんが」ではなく、「やろうと決意する」ことこそ大事だと、机の前の板壁にその目標を書いて張り出しました。さあ実行です。
「現代は かゆい所に 手が届く 物に溢れた 豊かな暮らし」
「テレビにて ミニマリストと いう言葉 始めて知って ?疑問の館」
「ミニくらい だったらできる かも知れぬ ミニマリストに なろうと決意」
「買うよりも 捨てるが基本 歳ゆえに そろそろ整理 整頓すべき」