〇菜の花裏話
「旧国鉄の線路の斜面に菜の花を植えたいのですが、許可していただきませんか」と、既にいよ上灘駅も、下灘駅も駅員さんを引き上げて無人化したため、役場でまちづくりを担当していた私は、駅や線路を統括していた松山駅へお願いに行きました。結果は「菜の花は地下茎が甘く、モグラが入って斜面を崩壊させて列車が転覆する恐れがあるから駄目だ!!」と断わられました。おりしも双海町ではまちづくりの一環として、花づくりが盛んになっていた時期でもあったので、「こんなことでたくれていてはまちづくりはできない」と思い、「どうすれば植えられるか」考えた末妙案を思いつきました。
早速花づくりに取り組んでいたエプロン会議の皆さんを召集し、線路沿いドハの草刈を始めました。田舎のおばちゃんは足が痛い腰が痛いといつも言っていますが、地下足袋を履き草刈機を持たせるとピーンとするので、一気に草を刈り払いました。草が枯れるのを見計らって野焼きをする手はずになっていましたが、運悪く私が上京していた日と重なり、東京の宿舎に一本の電話がかかってきました。明くる日が雨かも知れないと思ったおばちゃんたちは野焼きをしたものの燃え広がって火事になり、通りかかった列車を止めたのです。火付け盗賊改めではありませんが、鉄道公安室の取調べを受けたらしく、電話の声は涙声でした。
帰庁した私は傷心のおばちゃんたちに、「エプロンにポケットを粗く縫って来るように」と手紙を出しました。やがて集まったおばちゃんの胸ポケットに、ライオンズから貰った菜種の種を入れて、辺りかまわず歩いて種を落としたのです。明くる年の早春、これまで雑草に覆われていたJRのドハに、綺麗な黄色い菜の花が早春の彩りを添えて咲いたのです。「あれほど駄目だと言ったのに、何で種を播いた!!」と激怒されましたが、「あれは野生の花だ」と突っぱね、明くる年もその明くる年も、野生の花を作り続けたのです。今その菜の花は閏住の住民に受け継がれ、予讃線海岸周りの春の風物としてすっかり定着し、多くの観光客を集めているのです。あれほど反対したJRは、菜の花トロッコ列車や観光列車伊予灘物語を走らせて、儲けているのですから笑い話です。
今朝の愛媛新聞に閏住の菜の花畑の話題が載りました。「ああもうそんな時期になったのか」と、昔の笑い話を懐かしく思い出しています。昨日はシーサイド公園で子どもたちと体験塾をしていましたが、沢山のお客さんが訪れ大賑わいでした。知人友人もかなり多く、その人たちの殆どは、閏住の菜の花を見に行く途中、若しくは帰りの立ち寄り客でした。まさに冬枯れの何もないこの時期には、菜の花は救世主のような気がするのです。3月には菜の花ウォークも予定されていて、菜の花は伊予路に春を呼ぶ使者なのかも知れません。
「菜の花を 植えてはならぬ 言われたが 種を落として したたかやった」
「何故植えた お咎め喰らい 言い逃れ 今となっては 伝説じみて」
「反対を したくせ今は JR トロッコ列車 走らせ儲け」
「ポケットに 種入れ歩いた 懐かしい 思い出知った 人も少なく」