〇老々介護の日々
「人は何故老いつつ死に向って生きるのか?」、96歳の親父を老々介護をしているがゆえに、日に日に老いて行く親父の姿を目の当たりにしながら、そんな問いかけを自分自身の心の中でしています。昨日は親父が近くの夕なぎ荘へデイサービスに行く日でした。昨日の朝、町内に住む姉と弟も親父の様子を伺いにやって来て、息子家族も加わって、お迎えの車に乗る親父を賑やかにお見送りしました。潮が引いた後私はいつものように、親父の住んでいる隠居のトイレの掃除をしました。週2回のトイレ掃除は最初少し抵抗を感じていましたが、「修業」だと思い、「親孝行」だと思ってやっていますが、今ではすっかり習慣化し何の抵抗やわだかまりもなくやれるようになりました。
体が不自由になった親父の世話は、母が亡くなってからこの15年間、主に妻が食事や身の回りの世話を行って来ました。妻は私より年齢が一つ歳下ですが、今も近所の歯科医院へパートで勤めていて、とても働き者です。親父の世話に関しても愚痴も言わず、長男の嫁というだけで続けてくれていますが、さりとて高齢になりつつある妻にこれ以上の負担をかけてはならないと、殊勝にも思っている私も、何か手助けが出来るのでは?と思ってのトイレ掃除行動なのです。不思議なものでトイレ掃除をするようになって、親父の心に少しだけ寄り添えるようになれたことは、何よりも大きな効果でした。
いいことは分かっていても在宅介護は大変です。ゆえに「老いれば施設」の風潮が強くなり、私の知ってる人たちも施設に入居して老いを暮らしています。親父も一時は「迷惑をかけるから施設へ入りたい」と言っていましたが、今では「この家の畳で死にたい」と言うようになりました。長生きはいいことに違いはありませんが、介護は介護をする側も介護をされる側も、力のいることだとしみじみ思います。どこまで出来るか分かりませんが、親父も私たち夫婦や家族も、もう少し頑張ってみようと思っています。それは27年後にやって来る自分たち夫婦の老いの問題でもあるからです。
「親父留守 トイレの掃除 黙々と これも修業と 心に言いつ」
「親孝行 口で言うほど 楽じゃない 妻に感謝し 私も何か」
「老々の 介護親父が ありがとう たった一言 親子の絆」
「十五年 親父の食事 世話をする 長男の嫁 頭が下がる」