〇私の出番が来た隠居のトイレ掃除
わが家の同一敷地内にある一戸建ての隠居は、母亡き後親父が一人で暮らしています。味噌汁の冷めない距離なので、妻は母亡き後殆ど1日も欠かさず、親父の元へ夕食を運んでくれていますが、時の経つのは早いもので、それももう13年を越えました。9月1日に96歳の誕生日を迎えた親父はまあそれなりに元気に暮らしていますが、最近は衰えも目立つようになり、一週間に2回のデイサービスの日も忘れるようになり、一事が万事手が入り始めました。私は実の息子なので親父には親孝行をしたいと思っていますが、男ゆえ身の回りのことに気がついても殆ど口ばかりで、ゴミだしと声掛けくらいなもので、親父の身の回りの世話はもっぱら妻の世話に委ねています。
昨日親父の隠居へゴミを出すため覗いてみると、トイレが少し汚れていました。妻が仕事に出かけているうち、親父がデイサービスに出かけているうちに、トイレの掃除をしてやろうと思い立ち、妻に掃除の七つ道具も用意してもらってやってみました。わが家のトイレ掃除は息子たち家族が同居を始めてからずっと、トイレを設計した息子がしてくれています。親父の隠居のトイレは親父に任せていたため、私の出番はないと思っていましたが、ここにきて一週間に一度程度、私の仕事にしなければならなくなったような雲行きです。一時間ばかりの掃除で隠居のトイレはピカピカになりました。デイサービスから夕方帰った親父に、「トイレを掃除しておいたよ」と告げると、「ありがとう」と感謝の言葉が返ってきました。
私は家の横にある私設公民館煙会所のトイレと、人間牧場のトイレを行きががり上掃除をしていますが、これに隠居のトイレ掃除を加えると、かなりハードになりますが、中江藤樹の「知行合一」を学んでいる私としては、これも親孝行の一つだと、心の誡めにしようと思っていす。
「トイレは汚い場所」という私たち日本人の感覚はもう古く、「トイレは清潔な場所」「トイレは思考の場所」と考えれば、まさに「トイレは文化」なのです。親父の隠居を初めて水洗便所にした時、ウォッシュレットのボタン操作を誤り水浸しになった笑い話も、今は遠い昔話となりました。わが家のトイレは中に入ると便器の蓋が自動的に開き、用便がすんでウォッシュレットが終って立ち上がると自動的に汚物が流れ、トイレから外へ出ると蓋が自動的に閉まる優れ物です。トイレはやはり文化だと思いますが、隠居のトイレ掃除はいよいよ私の出番のようです。
「煙会所 人間牧場 二つとも トイレの掃除 私励行」
「さらに増え 隠居のトイレ 掃除する 知行合一 学ぶがゆえに」
「親孝行 口で言っても いざやると 覚悟必要 心入れ替え」
「ウォッシュレット いきなりトイレ 水浸し 笑い話も 今はいずこか」