〇綺麗な夕日だねえ
昨日の夕方、地域おこし協力隊の冨田さんと、砥部町まで薬草の話を聞きに行きました。会議予定は午後5時まででしたが、30分ばかり閉会が早まり岐路につきました。昨日は秋晴れの好天で雲ひとつなく、西に向かって走る車の向うの空に、太陽が落ちるのを見ながら走り、三秋峠を越えて伊予灘の海が開ける高野川まで帰ると綺麗な夕景が見え、いつもながら心の高鳴りを覚えました。地域事務所の正面玄関で車を降り富田さんと別れましたが、その足で止めておいた単車に乗って一目散、道の駅シーサイド公園へ向かいました。
運よく日没に間に合い、木になるカバンからデジカメを取り出し、小走りで恋人岬の見える場所へ駆け上がり、夕日を見ることができました。残念ながら期待したダルマの夕日にはなりませんでしたが、自分だけのとっておきの場所で夕日を見学することができ、一日の終わりを締めくくることができました。夜食事が終って机の上のパソコンのスイッチを入れてメール整理をしていると、先日facebookに友だち依頼のあったご存知松前町元気人村の、昨日の夕日の写真がアップされていたので、友だち返信メールを初めて送りました。そういえばお風呂大好きな私なのにここのところ忙しくて、薬草風呂のある元気人村へは行っていないようです。
今朝メールを開けて見ると、facebookに元気人村から返信のメールが届いていました。まったく同じ夕日を元気人村とシーサイド公園から写真撮影しているのです。私が夕日に狂った駆け出しの頃、文通していた永六輔さんから「夕日は何処かの朝日」と書いたショッキングなハガキをいただいたことがあります。私は今でもこのハガキを、お宝として大事に持ち歩いていますが、永六輔流に考えれば「双海の夕日は元気人村の夕日」でもあるのです。見る場所、見る時間、見る人こそ違え、夕日に変わりはなく、夕日に思いを寄せて生きている人が近くにいると思うとついつい嬉しくなるのです。
「永さんが 私にくれた ハガキには 双海の夕日 どこかの朝日」
「夕日見りゃ いつも私は 胸騒ぎ 昨日も綺麗 夕日に感動」
「私見た 昨日の夕日 場所違う 元気人村 アップしてくれ」
「チャイムさえ 私に味方 してくれる 音楽聞きつ 夕日眺める」