人間牧場

〇親類の建前

 昨日は下灘に住んでいる親類従兄弟の家の建前があり、案内を受けて祝賀会に出かけて行きました。建前と言っても今は大きなクレーン車がやって来て、柱や桁等を持ち上げるので親類等は用事がなく、午後6時から下浜公民館で行われる祝賀会のみの参加なので、建前とはいいながら首をかしげるような感じがしました。新築の家は国道に面しているため、国道の一車線にクレーン車を置き、ガードマンが終日交通整理をするような状況なので、木造3階建ての棟上時間が遅れたため、祝賀会も30分遅れで午後6時30分から始まりました。

夕闇迫る頃上棟した従兄弟の家の新築
夕闇迫る頃上棟した従兄弟の家の新築

 

見事な鯛の活け造り
見事な鯛の活け造り

祝賀会の直前になって従兄弟が、「挨拶と乾杯の音頭を頼む」といきなり言うのです。列席している叔父や叔母を差し置いては出来ないと一応断わりましたが、みんなの了解を得て挨拶に立ちました。聞けば従兄弟は50歳になったとか、従兄弟が23歳の時病気で父親と海難事故で兄を相次いで亡くしました。あれから27年の月日が経ちましたが、親が早く亡くなると悲しい反面、子どもは親に頼ることも出来ず自立するもので、紆余曲折を経て木材の卸問屋を営むようになり現在に至っています。

 私が今の家を建てたのは31歳でした。家を建てると「アバラの骨が三本折れる」といわれるほど難儀なものです。事実私たち夫婦もアバラ三本は折れなかったものの、受託ローンの返済などでかなり苦しい辛酸をなめましたが、多分3人の子どもを抱えた従兄弟も50歳という遅蒔きながら、言葉にこそ出さないものの同じような苦しみを味わうものと思われ、みんなで激励してやりました。70歳になった私と違い、男50歳は働き盛りです。少々疲れても一晩寝れば元気も回復しますが、突然病魔が襲うのもこの時期です。

 幸い従兄弟は剣道の達人で青少年の指導もしているし、PTAの副会長や社会活動にも積極的なポジティブ人間なので一応安心はしていますが、元気で人生の山坂を越えて欲しいと願っています。商売は景気の動向や連鎖等私たちの考えも付かないようなリスクもあるようです。昨日棟上した自宅が立派に完成し、家運が開けることを願っています。もし早くに死んだ親父の弟である叔父が生きていたら、さぞ喜ぶであろうとしみじみ思いながら、妻と二人で祝宴を楽しみました。

  「家建ては アバラ三本 折れるという わが家も辛酸 昔懐かし」

  「五十にして 家を建てるは 凄いこと 誉めてやりたい だけど厳しく」

  「亡くなりし 叔父に見せたい この勇姿 生きていたなら どんなに嬉し」

  「クレーン車 百人力の 仕事する みんな遠巻き 見守るだけで」

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