〇年輪塾公開セミナー(その1)
年輪塾ではこの2年間、波乱に富んだ人生を生きたジョン万次郎をテーマに、様々な学びをしてきました。時には人間牧場で、時には万次郎の生まれた土佐清水市で、また時には愛南町や旧西土佐村でゲリラ的に移動塾を行いながら、担当した脇田さんからネットで送られてくる膨大な資料や、清水塾頭から指示のあった課題図書を乱読・熟読して、自己学習に務めてきました。
今3期目の年輪塾の学びがより身近に、そしてより深まったのは、和田修三さんの仲立ちで紹介された高知県のジョン万次郎研究家青野博さんの存在でした。青野さんはこの2年間私たちの求めに応じ膨大な収集資料の中から、初歩的な私たちに惜しげもなく資料を提供して、毎回深みのあるレクチャーをしてくれました。
「何故坂本龍馬でなくジョン万次郎なのか?」とよく尋ねられます。それは年輪塾のテーマを決めるのは塾長である私の専権事項だとうそぶいていますが、その思い入れを今回の公開セミナーの資料に「年輪塾公開セミナーに寄せて」と題して私が次のような文章を載せています。
多少独りよがりな面もありますが、塾生たちは学びのプロセスを通して少なからずジョン万次郎の足跡に触れながら、万次郎という人物の凄さを感じ取ったように思うのです。それは今回のセミナーを開催するに当たり、塾生から提出してもらった「万次郎から学んだこと・鼎談で話して欲しいこと」というレーポートの中にも随所に感じ取ることが出来ました。
今回の公開セミナーも、宮本常一、二宮金次郎と同じく講演・鼎談・交流会の3部構成で企画しました。今回は資料として大いに活用した高知新聞連載記事を書かれた、慶応大学名誉教授川澄哲夫先生に青野さんを通して特別講話お願いしました。先生は噂に違わぬ白髪交じりの豪傑で、ジョン万次郎の知られざる世界を「ジョン万次郎とその時代」と題して存分に話していただきました。
ジョン万次郎の人生に大きな影響を与えたホイット・フィールド船長の存在だけが強調されていますが、私的にはデーマン牧師の存在をもっと聞きたかったと、今になって後悔しています。
「ジョン万の 公開セミナー 賑やかに 講師先生 大いに語る」
「龍馬より ジョン万好きな ゆえを持ち 二年もかけて 一生懸命」
「ジョン万は 聞けば聞くほど 学ぶほど 魅力増幅 これから先も」
「ジョン万の 帰郷記念の 日と偶然 重ならせたは 小番頭の知恵」