〇大分への講演小旅行(その2)
「折角講演に行くのだったら、もっと講演先でのんびり過ごしたらどう」と妻に時々言われますが、生まれ持ったせっかちな性分は変えようがなく、この日の大分への講演小旅行も、自家用車やフェリー、列車、タクシーを乗り継いで講演会場へ行き、講演が終れば元来た道を慌しく引き返すという旅になってしまいました。それでも旅先までの往復路は、見慣れた光景とはいいながら、飛び飛びですが一つ一つに思い出があり、往時が懐かしく思い出されるのです。
例えば佐田岬の突端に見える何度か訪ねたことのある灯台は、子どものころに見た「喜びも悲しみも幾歳月」という高峰秀子主演の映画や歌を思い出すし、灯台下の岸壁から漁船に乗って岬を海から眺めた時、同行した島根県旧吉田村の藤原洋さんが「海の流れる町」という表現をしたことを思い出し、また天気の良い日にはわが町からも一度は見たことのある、佐賀関のお化け煙突と称される佐賀関精錬所の煙突を見れば、親友渡邊又計さんや先日手書きのうちわを贈ってくれた、居酒屋の東布紀男さんを思い出すのです。
私が若かった頃、愛媛県青年の船事業が行なわれていて、私はその指導者に選ばれ瀬戸内海を巡った後、大分鶴崎の臨海工業地帯を見たり山並みハイウェーを通って城島高原まで足を伸ばしました。今は高くて大きな火力発電所の煙突が建っている姿を、日豊本線を走る電車の車窓から懐かしく見ました。佐伯市旧本匠村の高橋美和さんや川野義和さん、旧清川村の渡辺久信さん、旧大山町の緒方英雄さん、河口さんなど大分の十指に余る人たちは元気だろうかと、会う機会の少なくなった懐かしい人々と過ごした交遊を思い出すのです。
「そうだもう少し暇ができたら、そうした人々と地域を訪ね歩く旅に出てみよう」と、8年前リタイアした時思いました。ところがリタイアしたと同時に講演依頼が舞い込むようになり、現職時代をしのぐ忙しい日々が今日まで続き、私のささやかな願いは夢のまた夢になってしまっているのです。
昨日佐賀の関を出航したフェリーの船上から綺麗な夕焼けを見ました。また三崎港に着く前、三崎半島の頂上に建つ20基の風車が、小焼けの空に美しく見えました。講演という目的もさることながら、この印象的な2つの光景を見ただけでも、いい旅だったと納得した旅でした。
「旅先で 所用済ませて 引き返す 勿体ないと 妻は言うけど」
「灯台を 見ても人々 思い出す 過ぎ越し日々は 懐かしきかな」
「煙突の ある町生きる あの人は 元気だろうか 思いつ後に」
「退職時 暇になったら 旅したい 思ったけれど それも叶わず」