〇ギノー味噌株式会社創業60周年記念式典(その2)
式典は2部構成でした。午前10時から始まった第1部は田中正志社長のあいさつでした。日ごろはお互い色々な四方山話をしているのですが、社長の話をじっくり聞くのはこれが初めてのような気がするのです。社長は話がお上手なので自分自身の生き方、自分と会社の関係、自分と会長の関係、自分を育ててくれた人との関係、未来戦略等を「人生の6つの節目」と題して30分ばかり思いのたけを話されました。
社長は子どものころどもりの癖があったそうです。その克服が自分との戦いの始まりだったようで、流暢なレクチャーからは想像もつかないだけに相当努力したようで、そのひた向きさが社長の人生観の基底にあると思いました。
社長を子どものころから後継者といい続けて厳しく育てた創業者会長との確執も、見逃す訳には行きません。愛情と理性は親子にとって時には相反するものとなるものです。幾度もあった反抗期や親に対する多くの反感・反目を、乗り越えたからこそ、今の会長への思慕があるものと、その親子の苦労を垣間見るのです。
味噌に雑菌が入り酸っぱくなる挫折で会社の危機にも直面したし、味噌の会社がドレッシングまで手掛ける総合食品メーカーに成長するプロセスも、新旧の壮絶なバトルがあったものと推察されますが、持ち前のパワフルな行動力とアイディアでそれらを乗り越え、今日の繁栄を築かれた親子や社員の努力は、まさに60周年還暦に相応しいドラマのようでした。
私とギノー味噌との関係は突然やって来ました。もう昔のことなので定かではありませんが、風呂の好きな私が元気人村で風呂にに入っていると、会長さんを連れて温泉を楽しむ社長に出会いました。会長さんの顔も社長さんも顔を知っていたし、社長の奥さんが丸山町長さんの娘さんであることも知っていたので、サウナの中で急速に大接近し、色々なことを話しました。まさに裸の付き合いが始まったのです。その後ドレッシングの開発や販売の相談に乗るようになり、何度も作戦会議を繰り返しました。社長はまるでメモ魔で、人の話を聞いたら必ずメモを取るのです。私のようなものの話にも熱心に耳を傾け沢山のメモを取っていたようですが、私の話など役に立ったかどうかは分かりませんが、社長はこの日の挨拶で私のことも話していただき、恐縮してしまいました。
私はある時社長にお願いし、私の名刺の裏にギノー味噌の広告を出してはどうかと提案しました。勿論名刺の印刷代は会社で持って欲しいと、虫のいいことを話したところ、すんなりOKが出ました。私は親友で年輪塾塾頭の清水さんに相談してデザインを起こしてもらい、今治の村上太さんに印刷を頼み、かくして予にも珍しい「裏が味噌」という、人を食っようなた名刺が出来上がり、以来今日まで毎年約10箱千枚の名刺を全国講演行脚の徒然に、地域づくりの現場で配り続けているのです。最近は社長に100gの伊予の麦味噌パックを作ってもらい、講演先で名刺とともに参加者に配るという荒業まで登場して、私の巷ではギノー味噌を知らない人はないほどのPR効果を産んでいます。これは商売の鉄則である「損をして得を取る」作戦なのです。ギノー味噌はいまや私の手の届くような会社ではなく、コマーシャルも沢山流すほどの大きな会社ですが、ささやかな草の根の名刺と、100g味噌を使った作戦もまた、大きな効果を産んでいるものと確信しています。(この続きその3は、明日の朝のアメーバブログ「shin-1さんの日記」で紹介します。お楽しみに・・・・)
「60年 会社還暦 凄いなあ 社長の話 時々涙」
「裏が味噌 名刺に加え 味噌パック 携え全国 草の根行脚」
「もし町長 生きていたなら 今日の日を 喜ぶだろうと 在りし日の顔」
「末席を 汚したゆえに 少しだけ 恩を返して 役立つ決意」