人間牧場

〇活字は選択の技術や方法が学べる智恵である

 私の町には残念ながら本屋がありません。故に活字の読み物は毎日届く新聞朝刊や、市から毎月届く広報程度なのです。活字離れの時代といわれていますが、こうも活字不毛な場所に住まなければならないのかと、嘆きつつ日々を暮らしています。私と同じ年代に生まれ、私と同じ職場に勤めて退職し、私と同じ町内に住んでいる人がいて、私と同じ境遇を嘆いて生きているだろうと思いきや、先日出会って立ち話をしたのですが、そんな悩みは何処吹く風で、静かで一向に困っていないという言葉が返ってきました。
 その人は役場を退職した時、パソコンのような面倒くさいものはやらないと心に決めて、パソコンからも遠ざかっていて、パソコンでの活字にも出会わず、私が毎日武器のように使って読んだり書いたりしているブログ等、「ブログって何?」という有様で、まったく話がかみ合いませんでした。その人はこの3年間、一度も本屋さんに入ったことがないそうで、本屋さんに覗かなかったということは本を一冊も買わなかったと推測できますが、それでもその人は、何の不自由も感じないまま生きていられるのですから、世の中や人生はまか不思議な世界なのです。

 このところ出張した所が小倉や博多、大阪、松山といった私たちの町から見れば大都会だったため、乗り継ぎの少しの時間を見つけて本屋に立ち寄りました。そして小遣い銭をはたいて10冊ほど文庫本を買い求めて帰りました。本は重たく、同行二人を決め込んで持ち歩いている、二宮金次郎のブロンズ像とともに、背中に背負ったリュックは、肩にズシリと堪えるほどでしたが、読むことの喜びが上回って、さほど苦にはなりませんでした。
 私が買って帰った新刊図書の山を見て、「これほど沢山の本があるのにまだ買うの?}と今回も妻に笑われましたが、私の知的エネルギーの源だけに、パソコンや本に払うお金に対しては、妻も余り文句を言わず今のところ助かっています。

 自主的に選ぶことができなくなったとき、私たちは生きる意味を失います。生きるとは選ぶことです。私は今回の講演旅行で寸暇を惜しんで本屋に立ち寄るという、取るに足らない小さな選択をしただけで、新たな選択の無限の世界が広がり始めました。少し高い本だったので、買わず立ち読みに留めましたが、たまたま開いた燻製づくりの本は、アウトドアーの過ごし方に大きなヒントを与えてくれました。早速昨日は列車の中で思いつくまま、旅程をプリントした用紙の裏側に、ボールペンで下手糞ながら絵を書いたりして楽しみました。
 今私たちは混迷したりスピードの速い時代の中に生きています。そして洪水のように流れる情報の中で何を選ぶか迷いながら生きています。故に選択は現代人の私たちにとってもっとも重要なことであることは、誰しも認めるのです。活字はその選択の技術や方法を学ぶ智恵かも知れません。さあうず高く積み上げた買ったばかりの本をしっかりと読みましょう。

  「これほどに 本があるのに また買った 呆れた妻の いつもの言葉」

  「この三年 本屋へ行かない 友がいる それでも彼は 不自由もなく」

  「本代は 知恵に生かせば 安いもの これから先も 本は読みたい」

  「空想を 巡らすことが 楽しくて それを絵に書き 一人微笑む」

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