○ジョン万次郎塾(その3)
「ジョン万次郎の研究家青野博さんの話で塾はいよいよスタートしました。「ジョン万の生き方に学ぶ」と題した講演のため、青野さんはスライドショーと一枚のレジメを用意してくれる熱の入れようでした。レジメに書かれた次の13項目に沿って話をしていただき、随分分かり易く聞くことができました。
①群像 五人の仲間
万次郎と船頭筆之丞、その弟重助、五右エ門、そして寅右衛門の五人の乗組員がいたが、万次郎以外の
四人のその後の消息も興味がある。
②運命の船出 宇佐浦西浜
万次郎14歳、宇佐浦(現在の土佐市宇佐町)から天保12年(1841)1月5日午前10時、長
7.6mのかつお船で初漁に出港、運命の第一歩が始まる。
③漂流 鳥島
7日から13日遭難の航海、酷寒の海での過酷な生活、江戸から南600キロの伊豆諸島最南端鳥島漂
着、飲み水もない5ヶ月間の暮らし、アホウドリを食料に生き延びた。
④ハワイへ
水平線に現れた救いの船はアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救助される。寄港したハワイで5
人の運命が分かれる。
⑤鎖国時代
日本は鎖国政策、アメリカは自由の国といえど身分差別の厳しい国。
⑥万次郎ひとりフェアヘーブンへ
ホイットフィールド船長との出会いが新たな運命を生む。フェアヘーブンへ。
⑦ハワイに残った四人
現地で結婚した寅右エ門
⑧ゴールドラッシュ
アメリカ西海岸へ砂金を探しに出かけ600ドルの資金を貯めて上陸用ボートを購入、帰国準備、筆
之丞、五右衛門賛同、捕鯨船サラボイド号にアドベンチャー号を積み込む。
⑨三人の帰国 沖縄へ上陸
沖縄摩布仁に上陸、奇しくも太平洋戦争沖縄戦でアメリカ軍が上陸したのもこの地であった。取調べ。
ペリー率いるアメリカ艦隊4隻浦賀来航。万次郎の活躍が始まる。
⑩宇佐での別れ
⑪その後の万次郎
43歳で病気のため第一線から退き隠居に近い生活。71歳で波乱に富んだ人生を終える。
⑫150年を経て
現在のジョン万次郎を機軸にした地域づくり。
⑬日米の交流
ジョン万次郎を縁にした日米交流、青野さんの活動や活躍。
「ジョン万の 年表順を なぞらえて 興味津々 話聞き入る」
「二回目は あれもこれもと メモ記入 聞きたいことが 山ほどありて」
「運命は 人の出会いと 前向きに 生きる姿で 切り開かれる」
「こうまでも ドラマチックに 生きれるか 自分と重ね 愚かさ嘆く」