〇沈んだ気持ちの一日
このところ親しい友人数人が相次いで体の不調を訴え、入院したり手術をしたという話が風の便りで届いています。その話を聞く度に年齢ゆえでしょうか、自分の身に置き換えて何か沈んだ気持ちになるのです。私も十年前に胆のう摘出手術をしてから13キロも体重が激減して、あれ程好きだったビールを一大決心して止める羽目に追い込まれました。不調を訴えている友人の殆んどは、かつては私の飲み友達で、飲むほどに酔うほどに二次会・三次会と夜の巷に繰り出し、今にして思えば暴飲暴食を繰り返していたのです。飲酒後の〆のラーメンの味は格別で、馴染みのラーメン屋の暖簾を酔った勢いで何度もくぐったものでした。
私は意思が強く酒をきっぱり止めましたが、友人の殆んどは入院したり手術をしても退院して、何ヶ月かすると酒もタバコも復活していて、入院時に誓った禁酒禁煙の誓いは一体何だったのか疑いたくなるのです。人は人、自分は自分と思いつつも、酒やタバコを何故止められないのかも、不思議といえば不思議な話です。先日出会った友人の奥さんは私に、「胃を全部取ったというのに、『酒やタバコを止めるくらいなら死んだ方がましだ』と減らず口を叩き、私がいくら言っても酒もタバコも止めようとしません。そんな時お酒を止めたあなたのことを引き合いに出して、止めるよう説得するのですが、『若松さんは若松さんだ』などと聞く耳を持ちません。あなたの力で何とか酒とタバコを止めるよう言ってくれませんか」と頼まれました。私は「最愛の奥さんが言っても止めないので、私では無理」と突っぱねました。
その友人が体の不調を訴え再入院したようです。風の噂によると胃ガンが他の場所に転移していて、コバルト照射の治療を続けているようですが、脱毛等のため見舞い面会を拒んでいるようなので、少し落ち着いたら見舞いに行こうと思っています。
昨日別の友人に所用があって電話をかけたところ、電話口に奥さんが出て久しぶりに長話をしてしまいました。肝心の友人は検査入院しているとのことで、携帯番号を聞き電話をかけましたが留守着信でした。夜遅く着信履歴を見た友人から電話がかかってきました。病院のロビーからでしょうか、少し静かな雰囲気でした。聞けば腎臓疾患での入院のようでした。留守中の奥さんとの話をダブらせながら話をしましたが、病気が病気だけに若いころ袂を分かち合って酒を飲んだ楽しい語らいの場は、もう望めないようです。
人は必ず老いるし必ず死にます。健康などどこ吹く風と暴飲暴食しても病気にならない若い時代もあれば、いくら健康に注意をして暮らしていても病気になることもあるのです。考えれば考えるほど人の体は得体の知れないことばかりです。私など18歳の時宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海帰航時、低気圧の洗礼を受け死を覚悟しながら奇跡的に生還したり、25歳の時の大病で転職を余儀なくされたり、台風による土砂崩壊の片付け時チェンソーで大怪我をしたり、また胆のう摘出手術をしたりと、まあ健康に生きて今日を迎えているのが不思議なくらい、数々の出来事があり、それを見事に乗り越えてきたのです。
これからも多分幾つかのハードルが待ち受けていることでしょうが、しっかりとした気持ちで人生を生きていこうと思っています。
「無茶しても 体壊れぬ 若き日々 懐かしきかな 〆のラーメン」
「お互いに 酒も飲めない ようになる も一度酒を 鱈腹飲みたい」
「酒タバコ 止めるのならば 死んだほう ましだと豪語 まだまだ元気」
「人間は 何故に老いたり 死ぬのだろ? 俺も老いたり 死ぬかも知れぬ」