人間牧場

〇私というもう一人の自分

 私は若松進一です。他人の目に映る若松進一は身長168センチ、体重55キロ強、田舎といわれる四国愛媛県伊予市双海町に住んでいます。自分では名前若松が示すとおり若いつもりですが、残念ながら66歳の年齢を重ね、あと2週間ほどで1歳歳を重ねる初老な男性なのです。顔の造りはわたしを産み育ててくれた両親の責任なので、少し不満ですが目も口も耳も鼻も人並みにあるし、頭の髪の毛だって同じような歳の人に比べるとある方で、ハゲでも白髪でもないのです。しかし私の周りの人が格好良くて男前だったため、これまで女性には余りもてず色恋もありませんでしたが、見合いで一目惚れした?妻と26歳で結婚し、40年間中の良い夫婦を保ち、一女三男を儲けまあそれなりに幸せな家庭を築いているのです。頭脳は生まれつきと思っていましたが、後で聞いた話だと勉強をすればそれなりになったようですが、残念ながら勉強をしなかったため、親の病気という少しばかりの言い訳もあって高校しか出ていないのです。それでも世渡りは人並みだったため私の能力以上に働き、借金もなく今はまあまあ幸せな暮らしをしているのです。

 私はいつもこの体内に潜んでいる自分というもう一人の自分と対話をしながら暮らしています。自分というもう一人の自分に気がついたのは18歳の時でした。それまでは人が目にする自分以外、自分の存在等気がついていませんでしたが、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海に遠洋航海に出て寄航時、伊豆半島の沖で冬としては珍しい980㍊の低気圧の中に入ってしまい、死ぬかも知れないと船長さんに告げられました。その時私は自分の中に潜む自分と対話し続け、もう一人の自分とめぐり合ったのです。以来今日までの約半世紀50年間を、対話しながら共存共栄していき続けてきたのです。そして23歳の時自分の心の中に潜んでいる自分を鍛えない限り、いい人生は送れないと自覚し、自分を鍛えることを決意しました。体を鍛えることは勿論ですが、自分の心を鍛えることは容易なことではありませんでした。人間には等しく与えられた時間がありますが、寝る時間を少しだけ少なくし上手く使えば凡人の私でも人並みなことができると早寝早起きをモットーに、毎朝4時に起床することを決意しました。その決意は今もどうないか破られることもなく続いていて、その効果は「早起きは三文の得」となって蓄積しているようです。

 そして読む、聞く、見るという行動で得た知識を潜在能力にして、苦手だった書くことや喋ること、実践することによって顕在能力に変えてきたのです。お陰様にて自分の体内に巣づくっている自分というもう一人の自分を随分逞しく育て上げました。それは自分だけの力でもなく、関わってもらった多くの人の力によるものであることは、疑う余地のないことだと肝に銘じているのです。
 さて間もなく67歳の誕生日を迎える私にとってこれからどう充実して生きるか、これはこれまで以上に厳しいハードルが待ち受けているように思うのです。最大の難問は体力と気力の衰えです。私と同世代の人たちの中には既に体力と気力の衰えを訴えて、急速に人生のスピードを緩めている人もいます。それを年齢のせいだと主張していますが、私は「それは自分というもう一人の自分の心が弱いからだと思うのです。
 「くじけないで」がベストセラーになった柴田トヨさんは、「百歳」という本の中でこう書いています。

   百歳
私 来年になると
百歳になるの
奉公 戦争 結婚 出産 貧しい生活
いじめられたり 悩んだり
辛いこと 悲しいことも
あったけれど
空は 夢を育み
花は 心に潤いを
風の囁きは 幾たび
私を 励ましてくれたことだろう
あっという間の九十九年
両親も夫も お友だちも
みんな 逝ってしまった
でも 次の世で会えるわね
私 笑顔で会いたい
そして いろいろなこと
話してあげたい
百歳のゴールを
胸を張って駆けぬけよう

 柴田トヨさんの生き様はまさにもう一人の自分が素晴らしいことを実証しているようです。誕生日を機にもう一度もう一人の自分を強くすることを誓いたいと思っています。

  「若いころ 自分の中に いる自分 発見したから 豊か生きれた」

  「百歳を 迎える人に 教えられ 私まだまだ 修行が足りぬ」

  「座禅して 自問自答 する姿 これぞ私の 目指す生き方」

  「まだ若い 思えば私 まだ若い 負けてたまるか 自分にだけは」

 

 

 

 

 

 

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