〇日本農業新聞を読んだ話
年輪塾塾頭の清水さんは、年輪塾ネットのまとめ役だけあって、一年に一度はネット会員の意思表示を確認して、入会や脱退の作業という面倒くさい作業をやったり、会員の頭と心をつなぐため、様々な情報をネットに書き込んでくれます。一昨日も日本農業新聞を読んで見つけた記事の話を、「心ここにあらざれば・・・「大学より」というタイトルで投稿してくれました。
3月は卒業式の季節です。記事の内容は小学校の校長先生が卒業式に話された言葉の話でした。人の話を聞くことの姿勢についてだそうで、尊徳翁夜話にも登場してくるもので読み覚えのある「大学」の一節のようです。
「心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味わいを知らず」、原典では「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」と書いてあり、「こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじしらず」と読むのです。
これは、うわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聴いても聞こえず、食べてもその味が分からないという意味だそうです。ものを見て、それがどういう動きをしているか、ものを聴いて、それがどんな意味があるのか、ものを食べてそれがどんな味なのか、それらを受け止める五感は、本当は心の働きなのかも知れないのです。みんなで一緒のものを見ても、一方の人には気付くことが、もう一方の人には見過ごしてしまうことだってある、すべては意識の問題のようです。染み持参がコメントしている通り、何事にも通じるいい言葉だと思います。
私は早速書棚の奥に大切にしまっている「大学」という古い本を取り出して捲りました。大阪梅田の古本屋で見つけて買った古い古い本なのです。この本との出会いは二宮金次郎の銅像が読んでいる本が「大学」の一節だったことを知ったからでした。大学の一節をどうしても原書で読んでみたかったのです。
「大学」の本は難し過ぎて、私が読めるのは二宮金次郎が読んでいるという「一家仁・・・・」から始まる僅か25文字しか読めないのですが、今回の心不在焉・・・」は「一家仁・・・」の直ぐ前の頁にあって、直ぐに見つけることが出来ました。多分大学の本の中から探すのは難しかろうと思っていただけに意外や意外、簡単に見つけることが出来て拍子抜けした感じです。それでもこうして原典を読めた喜びは大きいものでした。
早速清水さんにメールを送りましたが、すかさず原典の大学を見てみたいと返信があったので、デジカメとスキャナーを使ってブログ記事で紹介することにしました。いやあ我ながら天晴れです。(こんなことで喜ぶ私はどうかしていますね-大笑い-)
「一万円 出して買いたる 古書開き 心不在の 一行見つけ」
「大学本 出てない私しゃ 難解で 大学出た人 読んでもらおか」
「身震いを するよな気持ち 古書を読む 凡人ゆえに 感動するか」
「まままだと わが身の学び 浅さ恥じ ささやかランク 上がる喜ぶ」