○岡山県井原市美星町中世夢が原を訪ねる②
私の町にも中世の城郭後が沢山あります。しかしその殆どは荒れるにまかせて、その存在すら分からない状態になっているのです。私が夕日でまちづくりを始めた頃、私の家の直ぐ前に聳える町のシンボル本尊山という山の城郭調査を、宇和島出身の井上日本城郭協会会長さんを招いて行いました。井上さんの話によると由並本尊城跡の石類群は一級品とのことでした。
何度も山に分け入り矢竹を強力な草刈機で刈って中世時代の城郭のその全容が見えてきたとき、身震いするような感じがしました。早速へ山城を再現しようと絵を描き、愛媛県の夢プランに応募したところ、見事その提案に予算がつくことになったのでした。しかし町内の有識者からは「中世の城郭など造るより、もっと別な特産品などをつくってまちづくりを進めるべきだ」との寝ずよい意見があり、ついには断念せざるを得なくなったのです。
そんな経緯を経てその後夕日によるまちづくりがある意味成功を収めたため、双海町では平成の大合併もあって、それらの話は私の記憶の中からさえ消え失せていたのです。しかし今回井原市美星町から講演のオファーがあった時、何かの本で読んだ美星町の「中世夢が原公園」のことを思い出したのです。
昨日私のブログで「中世夢が原を訪ねる①を書きましたが、夢が原公園の中核施設は私の思い描いていた中世の城郭を見事に再現していました。物見櫓のある山城「星の丸城や城主の館は多少風化してはいましたが、中々立派なもので見応えがありました。二階構造になっている櫓の急な階段を登って上階に上がると、そこからは美星町の町並みや公園に併設している天文台、それに公園内が一望できました。
(物見櫓)
時間があれば天文台へも立ち寄りたかったのですが、残念ながら竹井さんとの待ち合わせの時間が近づいてしまい、急いで併設している弥生時代の竪穴式住居を見学しました。何年か前無人島に茅1500束、丸太300本を運んで直径10メートルの竪穴式住居を造った経験なる私としては、竪穴式住居も興味があったのです。
中世の城郭と竪穴式住居が同居するミスマッチは説明不足で、時代考証としては「ハテナ?」と多少首を傾げましたが、それにしてもこれだけの施設群を今後どう管理運営するのか、頭の痛い問題だけに人事とは思えませんでした。
講演に行きながら公園を見るなんて、これまたミスマッチながらこれぞ旅の醍醐味と久しぶりに満足し、後ろ髪を惹かれる思いで迎えに来た星の郷青空市の竹井さんや普及センターの黒住さんと夢見庵というレストランで合流し、昼食を取りました。
「その昔 憧れていた 施設見て 造る断念 よかったホッと」
「公園に 弥生中世 未来など 混在してて これも楽しや」
「抜けるよな 青空見つつ 園内を 独り占めする 平日午前」
「本当は これが私の 夢プラン 夢が原にて 再現叶う」