○見せかけの金持ち
わが家は660坪の敷地に本宅と隠居を合わせると、田舎ゆえ大きな家に住んでいます。そしてその家を囲むように濃紺の土塀が長く続いて、外から見れば「お屋敷」って感じがするのです。したがって誰もが「お金持ち」だと思っているのです。
子どもが小さい頃長男が学校から帰ってきて、「お父さん、僕とこお金持ちなん?、それとも貧乏人なん?」とやぶから棒に聞くのです。聞けば友達が「お前とこは大きなお屋敷に住んでいるから金持ちだろう」と言うのだそうです。ところが自分の暮らしの実感としては質素な暮らしをしていて、貧乏だと思っていたのです。当然と思えば当然のこの質問に私は戸惑いましたが、すかさず息子が「お父さん、うちは貧乏人よなあ、だって友達の家のチャイムはピンポンピンポンと鳴るのに、うちのチャイムはビンボービンボーと鳴る」と駄洒落を言って家中が大笑いをした経験があるのです。
確かにわが家は傍目から見ればお金持ちに見えるのです。しかし内情は火の車で、当時は家を建てる銀行ローンを組んだため、私の安月給に翻弄され妻は相当家計のやりくりに苦労をしたようです。したがって子どもの目には食べるものも自家製のものが多く、当然欲しいものも買ってもらえず、家族みんなが貧乏共有の時代だったのです。
その中で忘れれられないのは薪で沸かす風呂です。私は当時公民館に勤めていて、土日も自由時間も殆どない仕事をしていました。したがって子どもたちと遊ぶ暇などなかったのです。その中で風呂を沸かすための薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは子どもの仕事と位置づけていました。最初は面白がってやっていた巻き割りも子どもたちのとっては「何でこんなしんどい仕事を子どもが」となるのです。それでもこの薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは大きくなった子どもたちには思い出となって残っており、今でもみんなが集まるとその話に花が咲くのです。今で言うエコライフな薪での暮らしは相当安価で、エネルギー代の節約をし、家計は大助かりでした。今は懐かしい薪ボイラーも薪の調達が難しくなり、2年前に灯油ボイラーに替えました。
家は築後30年以上が経って古くなりましたが、見せかけは今でもお金持ちのような家に住んでいます。しかし5年前にリタイアして家は再び質素な暮らしに逆戻りしました。でも3年前から年金も支給され、それなりに暮らしていますが、妻のやりくりは相変わらず続いているようです。
でも私にはお金や資産こそないものの、心は大いに豊かです。気心知れた仲間が沢山いて、いつも賑やかに活動しています。また家族揃って健康にも恵まれ、今年92歳になる親父もまだ自転車に乗るほど元気です。銀行ローンはとっくに繰り上げ償還して借金は多分ゼロです。間もなく長男家族と同居するため家の増改築リフォームをしなければなりませんが、その程度の臨時出費は私の時代の最後の大仕事として、何とかなりそうです。
今も私の頭の中に息子が私に質問した、「お父さん、うちは金持ちなの?、それとも貧乏人なの?」という問いかけがこびりついているようです。
「お父さん うちは金持ち 貧乏人? 言われた言葉 今も頭に」
「見せかけは 金持ちのよう 見えるけど いたって貧乏 だけれど豊か」
「薪割りや お風呂を沸かす 苦労して 育った子ども 今は懐かし」
「ピンポンが ビンボー聞こえる わがチャイム 息子よ偉い 座布団二枚」