○旧正月に年賀状が届きました
昨日と一昨日、相次いで2枚の年賀状が届きました。一枚は観光カリスマ百選の一人である、山梨県清里の船木上次さんから、もう一枚は年輪塾々頭の清水和繁さんからでした。日本全国が訳の分からぬバレンタインデーなどで馬鹿騒ぎしているこの時期に、季節はずれの年賀状を受け取れば、誰だって「あれっ、何で今頃?」と首をかしげるのでしょうが、古い時代の人間の私にとっては、また年輪塾ネットで清水塾頭のメールを読んでいる私としては、一休さんではありませんが頭に「ピーン」ときたのです。
清水さんの言うように新暦で暮らしている現代人にとっては、随分慣れたとは言うものの、冬が始まったばかりなのに新春という言葉が使われたりして、何処か違和感のようなものを感じていました。日本人は今流の言葉で言うとファジー(あいまいと訳すべきか)型人類で、キリスト教でもないのに教会で結婚式を挙げたりしても別に気にもならない人種なのです。
テレビが普及して、立春だの秋分だの冬至だのと旧暦の24節気を行事を交えて紹介していますが、新暦で育った世代が主流を占めるようになった現代では、旧暦を語る人も少なくなって肩身の狭い思いをしています。
私たちが子どものころは戦後間もないこともあって、何故か新正月と旧正月が2回あって、わが家が漁家だったため、正月が2回あることを不思議に思っていました。また前年にお葬式を出した家では新正月をせず旧正月をしていたような記憶もあるのです。
潮の満ち引きが漁の良し悪しを決める漁家にとって旧暦は、今も暮らしにしっかりと息づいていて、親から子どもに遺し伝える言い伝えやことわざもまだまだ沢山残っています。概して島や半島それに漁家などがかなり遅くまで旧暦の正月を祝う風習が残っていたようです。今頃は新正月でさえ門松やしめ縄飾りをしなくなった日本人が主流を占めるようになったのですから、旧正月の思い出など昔話になっているようです。
今年の旧正月元旦は2月14日でした。親父が家庭菜園の主導権を持つわが家では、この頃になると農作業の春の準備が始まります。ジャガイモの作付けはこのところの暖冬陽気に誘われて既に終わりましたが、伊予路に春を呼ぶ椿さんは今週末の20日から始まるようなので、いよいよ土起こしがスタートとするのです。
「梅は咲いたか」、「はい咲きました」。「桜はまだかいな」「はい、桜の花はまだのようです」。季節とともに暮らし、季節を楽しむのであれば今一度旧暦を見直して見る価値はありそうです。清水和繁さんあんたは偉い。
「時ならぬ バレンタインデーに 年賀状 届いてハッと われに返りぬ」
「そういえば 日本の暮らし 狂ってる 旧暦見れば 一目瞭然」
「暦など 何処吹く風の 日本人 暑さ寒さも 知らぬようでは」
「季節愛で 季節おののき 生きたいと 旧暦学ぶ この歳なって」