○庭先に小さい秋を見つけました
わが家の庭にも遅い秋が訪れ、窓越しに見える風景は私の心を癒してくれます。海に面した双海の秋は何といってもそこここに自生しているツワブキの黄色いかれんな花です。じっと見ていると目の覚めるような黄色で、抜けるような秋の空や夕日に映えると少し物悲しく見えるのもこの季節ゆえの風情でしょう。野の花ゆえに派手さはありませんが、行く秋を惜しむように人知れずひっそりと咲くツワブキの花は、水仙とともに清楚で大好きな花の一つなのです。
庭の後ろは斜面になっていますが、春先から秋口まで何度か草刈り機で刈り払っているにもかかわらず、生き延びたように野菊やヨメナが綺麗な花を咲かせています。野菊もまだ清楚な花で、時々摘んで一輪ざしに挿して楽しんでいます。野菊は香りが強くたった一輪ほどでも部屋中かぐわしい香りを漂わせてくれます。野の花は野で見るから美しいと言われているので、余り摘みませんが、それでも野の花は小さな一輪ざしによく合うので食卓や机の上、時には来客をもてなす煙会所の茶花としても重宝して使っています。
小さい秋といえばわが書斎の掃き出し窓の向こうに大きな石つきシノブがこのところの朝夕の冷え込みで少しずつ紅葉し始めました。もう40年も前に下灘黒山から一握りほど採集して帰ったものがどんどん増えて株分けし、その一部を親父が庭石に網で縛りつけておいたものですが、今ではしっかりと岩にへばりついて季節を感じさせてくれているのです。シノブにはトキワシノブという年中青いものもありますが、わが家のシノブは落葉シノブなのです。春にゼンマイのような葉っぱを出したシノブはやがてシダと同じ葉っぱを広げ目の覚めるような緑に変わります。そして夏中茂り、秋には見事に紅葉して葉っぱを落とすのです。深山幽谷を連想するようなわが家の庭の石つきシノブは、これから次第に紅葉して私の芽を楽しませてくれることでしょう。
早いもので10月もあと二日で終わりです。今年もあと2カ月で正月です。急ぎ早に深まる秋をもう少し楽しもうと思っていますが、やがて迎える11月は県外への旅が何度も予定されていて、秋を愛でる暇もないほどですが、65歳の秋は一度きりだと心に決めて楽しもうと思っています。
そういえば、私が借景として楽しんでいる目の前の本尊山の山々の松の木が紅葉と目を疑うほど枯れています。多分この山の松はもう全滅するのではないかと思うほどです。せっかくいい山だと次男し楽しんでいたのに少々残念でなりません。
「松などが 枯れたところで 気にもせず 人は行く秋 楽しみもせず」
「庭先に 小さい秋を 見つけたり 六十五歳の 秋が過ぎゆく」
「野の花は 清楚がゆえに 美しい タダひっそりと 誰見るでなく」
「一握り 山採りシノブ 四十年 こんなに増えて 今年も紅葉」