○隣のおじさんとおばさん
私の家の隣のおじさんが高齢を理由に免許証を返納し、車に乗らなくなって一年が経ちました。このおじさんは信心深い人である宗教に入信しているため80歳を超えても、宗教本部のある高知県まで一カ月に一度国道33号線を走ってお参りに行っていたのですが、さすがによる年波には勝てず、同居している息子さんが事故があってからでは遅いと、車に乗ることを止めさせたそうですが、これまで何かにつけ車で済ませていた町外への買物や通院、それに用事も出来なくなる、公共交通機関を使い、近い所は歩いていかなければならなくなって、どこか元気がなく、一辺に歳をとって老け込んだような感じがするのです。
数日前このおじさんがわが家の入口にあるお地蔵さんの月縁日にお供えをしにやってきました。信心熱心な方だけあって、毎月縁日にはお菓子を供えることを年中欠かさないのです。そして夕方になるとその供えたお菓子をわが家と親父の隠居にに持参してくれるのです。隣といいながら毎日忙しく振舞う私のことですから、このおじさんとも中々出会わず、久しぶりの面談となりました。
聞けば、免許証を返納して車に乗れなくなると、色々なことに不便だそうですが、それ以上に自分の行動範囲が狭くなって、入る情報が極端に少なくなったそうです。見るもの聞くもの大体理解できたのに、僅か一年の暮らしの変容で時代に取り残されたような焦燥感を感じるのだそうです。
一番困るのは病院への通院で、その病院も交通不便なところだと行くに行けないので、駅から近いところに変えたそうです。しかも通院の日は朝早く出かけ夕方帰ってくる一日がかりになってしまうこともあるそうです。ゆえに通院の前日などは気が重く、また当日は病院の診察を終えて家に帰るとクタクタで、まるで病気になりに病院へ行くようだと述懐していました。なるほどなるほどと相槌を打ちながらやがて来るであろう自分の将来を不安な気持ちで見通すのです。
隣のおじさんの奥さんもつい最近、少し生活ぶりが変わったようです。80歳そこそこながら一日の殆どを家の玄関先に椅子を持ち出して日向ぼっこをするのが日課になっているのです。この夏は残暑もかなり厳しかったようですが、その暑さを気にせず日向ぼっこをしたため、かなり日焼けをして、かえって見ているこちらの方が「暑気は大丈夫かしら?」「ひょっとしたら認知症では?」と心配したりするのです。
隣は息子さん夫婦と子どもや孫が同じ敷地内に住んでいて、高齢化が進んでも心配はないようですが、次第に老いていく行く隣人の姿を見ながら考えさせられることが多くなる今日この頃です。他人事や隣のことばかりでなく、わが家にも92歳の年老いた親父がいますし、私も妻も高齢者の仲間入りをしつつあります。老いてもまだ元気なわが親父や私たち夫婦と比較すると、親父に比べ10歳も年下の隣のおじさんやおばさんの方がどこか元気がないようで心配しています。
私たち夫婦にも老いは手の届くすぐそこまでやってきています。しっかりと生きて行きたいものです。
「免許証 返納おじさん ゆっくりと 歩いているが どこか寂しく」
「病院に 行って病気に なるという 一日がかり 疲れがどっと」
「日向ぼこ する姿見て 認知症 心配よそに 日焼けて元気」
「もし明日 車運転 出来ずんば 考えただけ ぞっとしますね」