shin-1さんの日記

○プロや○○家とは

 私はかつて25歳から60歳までの35年間も双海町役場に勤めました。その間教育委員会、産業課、企画調整室、地域振興課とそんなに多くない3回の人事異動で辞令を貰い、定年前の58歳で教育長に就任するため一度退職辞令と就任辞令をいただいて、平成の市町村合併でその役目を終えたのです。私にとってこの長くも短い35年間は橋梁をいただいて働いたのですからプロなので、給料に見合った以上に働き、自分の評価なので周りの人がどういうかはわかりませんがそれなりの成果を上げてきたように思うのです。

 プロとアマとはどこが違うかと聞かれたたら、皆さんはどう答えるでしょう。その仕事で飯を食べてる人をプロと言うのならば、世間の殆どの人がプロなのでしょうが、世間一般ではプロ野球選手、プロゴルファー、プロレスラーなどはその呼び名からして一目瞭然で、契約金も年俸も私たち庶民とはケタが外れた破格のお金を手にしているのです。大相撲の関取りもプロと言う枕詞がついていなくても相撲で飯を食べているのでプロなのです。聞くところによると大相撲の世界では給料をもらうのは関取りと呼ばれる十両以上で、その下は部屋に囲われて食事を提供してもらい、親方から来ず会を貰って生活しているのだそうです。大相撲にはまるでプロとアマが同居しているようなものなのです。

 さて私たちの周りには余りいませんが、東京などに行くと作家、音楽家、画家、噺家、陶芸家など芸術家と言われる人がたくさんいて、それで飯を食べています。俳優や歌手などの呼び名の下には家という字かないものの、こちらも高額なお金を稼いで、セレブと呼ぶにふさわしい人もうらやむ暮らしをしている人もいるのです。

 「○○家」と呼ばれる人たちは、その仕事で家が立てられる人を言うのだそうですが、画家や音楽家がその道一本で飯を食べることは容易なことではなく、その道一筋で飯を食べている人は少ないようです。駆け出しの画家や作家が色々な職種を転々として細々稼ぎ、やがて大成してゆく話はテレビで度々目にする光景なのです。

 今日ゴルフの全日本選手権をテレビで見ていたら、石川遼選手が優勝争いをしていました。高校生なのに早くも頭角を現して賞金ランキングのトップを行く彼の姿は目にまばゆいばかりの活躍で、日本中の大きな話題をさらっていますが、彼もプログルファーなのです。年齢と努力がその道の奥儀を極めると思っていた世間の常識やジンクスをはねのけて活躍する彼は生まれながらの天才なのかもしれません。でも人知れず努力したからこそ花開いたのであれば、彼こそプロ野球選手イチローと同じく努力する天才なのかもしれません。

 そんなことを考えると、税金の中から給料を貰って暮らしている公務員はもっとプロに徹してもらわなければならないと、次回の念を込めて思うのです。先日市役所女性ながら部長職で退職したMさんの話を聞きました。彼女は持ち前の行動力で福祉の分野で大きな功績を残しました。私から見れば彼女こそプロだった思うのです。彼女が合併した大きな市の市役所職員になって思ったことは、挨拶もしないし、仕事に情熱を燃やしていない職員が多くいたそうです。これはプロとかアマとか論じる以前の人間性の問題で、市民らしくない職員の存在はわが住む街の将来に暗い不安を投げかけているようです。

 ある雑誌で平田さんという方が、「自分をプロだと思う者はプロである」と述べています。同感ですがプロと思って欲しい人がプロと思わないのも何だか寂しい気がするのです。


  「プロ意識 持って欲しいが 持たぬ人 何とかせねば この国滅ぶ」

  「ハーモニカ 吹くよになって 早五年 変換間違い ハーモニ家となる」

  「天才と 言われる人の 人知れぬ 努力している 姿感激」

  「曖昧な プロと素人 境界線 プロと思えば プロと言えるが」

[ この記事をシェアする ]