○当然と必然、それに偶然を思う
私は常々と当然と必然、それに偶然を思うことがあります。私の浅はかな知恵で、当然は当り前、必然は必ずそうなること、偶然は予期せぬことに出会うことくらいの意味しか浮かびません。当然と必然は毎日起こっていることなので別に気にも留めずやり過ごしていますが、これが偶然となるとその偶然に驚いたり、時には忘れられない思い出となったりするのです。
昨日人間牧場の畑でお茶の木に無数の花が咲いていることに気がつきました。顔を近づけ花で匂いを嗅ぎましたが、お茶の花らしく控えめな香りに、何ともいえない癒された気持ちになりました。その花を見ながら「この花は秋になると毎年季節を告げるように咲くのに、私を含め誰ひとりとして見ることもなく、香りを感じることもなく咲いては散っていくのです。昨日あの時、たまたま私が見た偶然はこの花と私の関係において地球上で起こった凄い数の確率の偶然なのです。
今朝当然的に4時に起き、いつものように自分の書斎に入って電気をつけ、パソコンスイッチを入れて毎日やっているようにまずGメールを開けて読み始めました。昨晩全てを読み終わり必要なものは処理して寝たので、未読メールの数はそんなに多くありませんでしたが、その中に知人からのコメントがありました。その友人は偶然なのか必然なのか分りませんが、私のブログを読んで感想を書き込んでくれていました。察するに時々私のぶる具を読んでいるものと思われますが、これも私や友人にとっては偶然な出来事なのです。
数日前の日曜日、私は妻と二人で松山市内の温泉に行きました。妻と私は混浴でないため時間を打ち合わせ、男女それぞれの暖簾をくぐって温泉に入ろうとすると、「若松さんではありませんか?」とた声をかけられました。私はとっさのことゆえ失礼ながらその人の顔も名前も忘れていましたが、自己紹介をされた言葉で私の脳のカンピューター回路が動き始め、名前と顔が一致して「はい覚えていますが、こんなところで会うとは珍しいですね」と昔を懐かしんだのです。こんな偶然はしょっちゅうで偶然と言えるかどうかわかりませんが、私とこの人の関係においては凄い確率の偶然なのです。
ある人から頼まれて私がにわか思いつきで書いた文章が、先週佳作程度の入賞を果たしたと主催者から連絡がありました。私はこれまでにもNHK青年の主張の原稿審査もパスして県代表になった経験があります。また海外派遣30周年記念論文募集では総務庁長官賞もいただきました。これも私が応募する当然も必然もないのですが、書くという作業によってのみ与えられた偶然と言えば偶然なのです。駄作ゆえ人に読んでもらうほどの文章ではなく、東京での表彰式には出ないことを決めていますが、もしあの友人の言葉を真に受けず書かなかったらと思うと、今回の受賞も偶然なのかも知れません。
こうして当然と必然の繰り返しの毎日の中で、時々突発的にやって来る偶然は、加齢とともに数こそ減ったり思い出すことすらできなくなってくるのでしょうが、確率が高いほどその偶然は驚くのです。もし毎年妻がささやかな夢として買っている宝くじに当たって前後賞合わせて3億円を手にすることがあったとすると、これはもう青天の霹靂で、偶然としか言いようがないのです。当然そんな偶然はないと思うのですが分りませんよ・・・。まてよ、妻と出会って結婚したのは当然か必然か、いや偶然かな?。
「この花を 今の瞬間 見てるのは 世界で私 一人なのです」
「偶然に 見つけたブログ コメントを 書き込み意見 これも偶然」
「わが妻と 縁結ばれ 結婚す これは当然 必然偶然」
「偶然は いいことばかりじゃ ありません 事故に遭うの 偶然ですから」