○ススキを活ける
わが家は田舎ゆえに滅法敷地が広く、菜園に使っているところを加えると660坪もあるのです。若いころは何ともなくかえって広いゆったりとした敷地に満足していましたが、庭の手入れを一手に引き受けていた親父が9月で満92歳となり、私も後三日もすれば満65歳の高齢者となるため少々手を焼いてきたというのが正直な話なのです。「歳をとったら都会のマンション暮らしが一番」と、仲間が話す言葉を聞きながら、「なんて馬鹿なことを言うのだろう。歳をとったら自然とともに暮らすのが一番」と思っていましたが、今になって仲間が話している言葉の意味がわかるようになってきました。確かに無機質な都会のマンション暮らしは私の性分には合わないものの、「じゃあ誰が庭木の剪定をし草を刈ったり引いたりするのか」と尋ねられると、行く先々不安が頭を持ち上げるのです。
今は私が草刈り機で草を刈り、親父が草を引いたり庭木の手入れをしていますが、親父もあと2~3年が限界のようです。同居を望んでいる息子もいずれ帰って来るでしょうが、果たして私が親父の代役を、息子が私の代役をできるかどうか疑問が多いのです。私は親父のように庭木の手入れをする技術を持ち合わせてはいません。息子も草刈り機など使ったことがないのです。あらためて遺し伝えることの大切さを思うのですが、残念なことに世代交代のシナリオはまだまだ未熟なままなのです。
近所にそれは見事な庭や盆栽を作っていた家がありました。ご夫婦が亡くなって既に5~6年が経ちました。最初の1年は度々息子さんが帰って家の戸を開けて風を入れ、庭の手入れも行っていたようでしたが、そのご1カ月が2ヶ月、3ヶ月と遠のいて、今ではすっかり雑草に覆われて無住の庭となっているのです。その家では優秀な息子さん二人は都会に出て帰って来る当てはないので、再興は難しいようです。
「今にわが家も」と不安がよぎりますが、妻が「お父さんも息子も働き者だから大丈夫」と太鼓判を押してくれています。
先週に日曜日、私のゼミの学生19人がわが家へやって来ました。妻は数日前から肩が凝るほど張り切って掃除をしていました。突然「玄関先へ花を活けるのでススキを取ってきて欲しい」とせがまれました。「急に言われても近くにない」と私が言うと、「畑の畔にススキが沢山あるから」と剪定鋏まで手渡されました。行ってみると確かにススキは新穂を出していました。石垣の近くなので慎重に切り取り10本ばかり取って帰り妻に手渡しました。妻は早速砥部焼の花瓶に活けてくれました。
花は買うものと思っていますが、どうしてどうしてこの時期のススキの穂は見事に玄関先に秋を演出して、やってきた楽師たちを温かく迎えてくれました。外はもう秋真っ盛りです。彼岸花はもうそろそろ終わりに近づきましたが、ススキは虫の音とともに当分秋を満喫してくれることでしょう。
「野の花を 活けてお客を 出迎える 綺麗なススキ お褒めのことば」
「この庭を 誰が守るか 俺の後 心配するな 息子がちゃんと」
「荒れし庭 近所の姿 焼き付いて 転ばぬ先を われと重ねる」
「わが部屋の 窓に初秋の 気配見ゆ 露草露が 朝日輝く」