○大根の首切り
昨日外出先の島根県益田市からわが家へ帰り、久しぶりに家の側の家庭菜園に出ました。菜園は殺風景ながらもう春の装いに変わりつつあり、あちこちに緑色の濃いハコベがはびこってきました。その中で一際目につくのが大根の畑です。一瞬何事が起きたのか目を疑いました。先日まで青々としていた大根畑の葉っぱが全て切り落とされてなくなり、まるで髭剃り後の私の顔や首のように、青首だけを寒々とさらしているのです。
親父の隠居に行くと親父が「もうそろそろ大根もトウが立つので首を落とした」というのです。「トウ」とは花を咲かすための大根の芽伸びのことで、大根は子孫を残す作業として花を咲かせ実を稔らせるのです。しかし大根が「トウ」を立てるには、地中にある養分を吸うのではなく、地中に埋まった自らの養分で「トウ」を立て花を咲かせて実を稔らせるのです。そのため大根に「トウ」が立つと、大根は「ス」が入って繊維だけが残り食べられなくなるのです。葉っぱを落すと大根の成長変化が止り瑞々しいままの大根が春まで食べられるのです。誰が考えたのかは分りませんが、大根の首切り作業はどの家でも行っている春先の作業なのです。しかしこんな田舎でも家族の数がめっきり減って大根をそんなに沢山植える人も少なくなって、今では首切り大根を見かけることも少なくなりました。
親父はこのところの寒さを利用して切干大根を作ってくれました。最初に作った切干大根は既に仕上がっていて、冬の寒風に晒されたものが沢山出来上がり、ナイロンの袋に入れて収納しました。親類や近所におすそ分けのつもりでしょうか、昨日はまたひとサナ作って干していました。
この時期しか出来ない切干大根は大根がなくなる春先から秋口まで年中食べることが出来るのでわが家では重宝して食べています。私に時間的余裕が出来たらもう少し作って欲しいと妻は私にせがむのですが、今のところ「そんな暇はない」と言い張っています。というのもこのところの寒さですから正直なところはおっくうなだけなのです。大根を引き抜いて身を切るような寒さの中で水洗いするのも、その大根を包丁で切り刻むのも面倒臭いのです。でもその手作業を親父は誰に恩義を着せるでもなく毎年黙々としてくれるのですから、頭が下がるのです。
昨日の夜は久しぶりに大根サラダを食べました。この一週間わが家を開けていて、どちらかというと野菜不足の食事になっているようでした。勿論一昨日私のために益田で開いてくれた寺戸さんや大畑さん、岩井さんたちとの懇親会でも居酒屋で大根サラダを食べさせてもらいましたが、「食べた」という感触はやはり妻の作った大根サラダが一番なのです。昨日は新鮮なトラハゼの刺身が食卓に用意され、史談会の定例勉強会が終わり帰ってからの遅い夕ご飯となりましたが、妻と二人他愛のない話をしながら食べました。
大根心という大根にちなんだ芸名もつけて名実ともに大根のお世話になって日々を楽しく暮らしています。大根の薀蓄をもっと学んで「大根博士」にでもなりたいものです。
「大根の 首落されて 寒々と これも大事な 作業の一つ」
「大根の 芸名いただく この身ゆえ 効能あやかり 薀蓄しゃべる」
「切干は 年中食べる 保存食 手をかじかめて 親父手づくり」
「大根は 生良し煮て良し 三昧の 食べ方楽し 今夜はおでん」