○IQ人間とEQ人間
わたしたち人間を3つに分類するとしたらIQグループとEQグループ、その二つに属さない無Qグループに分けられるような気がします。IQとは知能指数の優れた人です。私たちの同級生の中にも、日頃そんなに勉強しないように見えるのに勉強のよく出来る人が何人かいました。昔は家々の裕福の度合いが勉強の出来る出来ないを左右する部分もあったので、今考えてみるとIQグループだと思っていた人の中には、私たちと同じ平凡人間もいたのですが、多少の羨望の眼差しもあって、幼心ではそう思っていました。IQグループの人たちは、義務教育の途中であっても愛光や新田、東雲といった私立中学へ進学し、既に違った道を歩んでいました。貧乏故に私たちが高校へ行くか行かないかを議論している頃に、彼らは既に高校の向こうにある大学進学を目指していたのですから、追いつくはずもない遅れに遅れた社会に私たちはいたのです。
でも彼らが学力や学歴を目指し、ふるさとや仲間を捨てた時代に、私たちは気付かないうちにとんでもないほど豊かなEQを身につけてたのです。EQとは【ものごとにどれほどの豊かな感受性を持っているかを示す指数】、つまりIQが「頭の知能指数」なら、EQは「心の知能指数」とでもいうべきものでしょう。
一昔前まではIQ人間が重宝される時代でした。ところが産業革命を経て情報化時代が到来し、記憶や計算などならコンピューターに任せれば間違わず仕事をしてくれるようになったのです。一方で最近になると商品開発や営業という部門でどれだけ面白く営業成績を上げることが出来るか、感性に訴える要素が重要になってきたのです。ましてやIQ人間は心の病に弱いという欠点を持っているから、企業は余計EQ人間を求めるのです。
私はどちらかというとEQ人間のグループに属していると思います。何事にも興味を示し、悪い事をいいほうに考え、人生を楽しむ術を知っているのです。今まで嫌というほど様々な失敗もしたでしょうし、反対に打ちのめされそうにもなりました。でもまるでダルマのように起き上がって生きてきたのです。そして平凡な日々をささやかな努力の積み重ねによって大きな徳を得てきたのです。
まだまだ努力の足りなさから勝者や成功者にはなっていませんが、それでもいい人生を生きてると思いつつ生きています。多分これから先も心の病にはかかることはないでしょう。
最近第3の無Qグループの人の存在が気になって仕方がありません。IQでもないのにIQぶっている人に会います。またEQでもないのに富や財産をEQと勘違いして見せびらかす人にも会います。いずれもやがては化けの皮がはがれ、目の前から消えてゆくのですが、人生は知能指数や富・財産で決まるものではないのです。
今夕、京都の木下さんという友人から電話がかかってきました。彼は毎月1回学校などの公共施設へ行ってトイレの掃除をするボランティアをやっています。その数は150回を超えたそうです。また彼は始業前に役場の公用車を毎日掃除をしています。凄いEQです。彼こそ本物のEQ人間だと思います。私も12年間毎日毎朝三時間シーサイド公園の掃除をしましたが、見習いたいものです。
「IQの 人間でない 俺達は せめてEQ 努力次第で」
「人間の 魅力はEQ 磨こうよ 人の出会いが 高めてくれる」
「この話 妻に話すと IQって? 知らぬ人には 無Qですから」
「学歴の ない俺IQ 並み以下だ それでもEQ 極上霜降り」