○水が勿体ない
昨晩わが家ではちょっとした水論争がありました。というのも、こともあろうに私が忙しそうに振舞う妻の姿を見ていて、「何か手伝いをしないといけない」、なんて考えたのが甘く、浴槽を洗い風呂の栓をして灯油ボーイラーのスイッチを入れ、お湯を張り始めたのです。ここまでは完璧でした。ところが「夕食の準備が出来た」と書斎へ私を呼びに来た妻と二人で夕食を始めました。そこへ友人からの長電話です。折角温かい食べ物を用意してくれたのに興ざめといった感じでした。メモを取らされたりしたものですから余計時間がかかり、結局は食事を中断して30分もかかったのです。その間妻はさっさと箸を進めて、私の食べ物だけが残ってしまいました。
ところがそれからが大変です。さっき蛇口をひねった湯殿のことなどすっかり忘れ、妻と私が気付いたときには時既に遅しで、お湯は溢れて満水状態です。妻には「馴れないことをするからよ」と言われるし、電話の相手に八つ当たりも出来ないので、少し険悪な雰囲気でした。
金融広報委員会のアドバイザーを務めている私は、ことある度に知ったかぶりの「勿体ない」を連発し、やれ「水代が多い」だの、「衝動買いが多い」だのと、「箸の上げ下ろしまで(妻の弁)」口うるさくいわれているので、「あなたも同じじゃないの。それみたことか」と、「自分で蛇口をひねりながら忘れるなんて、あんたも歳ねえ」と言われたものですから、「人が親切でしているのに、これからはやらない」の一言でモヤモヤしながら口げんかを終わりました。
それでも夫婦、一緒に見ていたテレビ番組に笑い転げ、そのうち口げんかの余韻も冷めて一緒に風呂に入りました。満水の浴槽は使っても使ってもお湯がある感じで、浴槽のお湯の中に○○の湯」とか書いた温泉の基を入れ、「お父さん、今日は温泉に入っているみたいだね」と、二人で温泉気分に浸ったのです。妻は「お酒を飲む訳でもなし、パチンコに行く訳でもなし、これくらいの贅沢はまあいいね」と、さっき感情的になった言葉を打ち消してとりなしました。
一昨日の新聞には夏から冬にかけて少雨状態が続いて水瓶がピンチなのだそうです。水道関係者が我が家の事を知ったら多分教育的指導を受けるだろうと思いました。確かに私たちの身の回りではトイレを始め昔とは比べものにならないほど水を使っています。住民一人一人の節水意識がないと永久に水不足になるのです。「お金を払っているのだから」と開き直られると困るのです。
わが家には数ヶ月前前まで池があって、池用に井戸を掘っています。その池も鯉が死んだため地下室にリニュアールされ、井戸の水は畑や庭の潅水専門になりました。井戸は水をくみ上げないと水みちが詰まって井戸の水が確保できなくなるため、親父は井戸水を盛んに使って野菜を作っています。夏から秋にかけての渇水でピンチだった里芋も、どうにか近所へおすそ分けが出来たのもこの井戸水と、毎日潅水をし続けた親父の懸命の努力でした。「水を制するものは国を制する」そうですが、水を持ってる西条と水が欲しい松山の水を巡る論争も一段と白熱化しています。田舎が故に水は昔からタダの風潮が強いのですが、合併によって水道代は格段に値上がりしました。ケチだけではなく、水を無駄なく有効に使う知恵をこれからも実践したいものです。
「長電話 夕食ストップ お湯ジャージャー お陰で夫婦 お口で喧嘩」
「満水の お風呂はまるで 温泉だ お湯は溢れど 色気溢れぬ」
「気配りが 時には仇と なることも あるということ 肝に銘じて」
「たかが水 されど水だと 請求書 見ながら思う ゼロの多さに」