shinn-1さんの日記

○母の写真

 母が亡くなったのは2001年10月4日のことでした。肺がんと分かってから約10ヶ月、父と二人で穏やかな余生を送っての旅立ちでしたが、最近父の隠居に母の写真が何枚か飾られている中に、奇妙なのを発見しました。それは母存命の皐月の頃に写した皐月咲く隠居の風景ですが、その隠居の窓を切り取ってそこへ母のスナップ写真をはめ込んでいるのです。最初気付きませんでしたがあたかも母が皐月の花を愛でているように見えるのです。その発想に驚くやら感心するやら、ただただ敬服しています。

 人は身近なものをなくして始めてその存在に気付くのでしょうが、亭主関白だった父の場合も痒い所に手の届く母の存在は余りにも大きかったに違いありません。

 私にとっても妻の存在は大きいはずなのに、側にあるがゆえにその存在の大きさには気付いていないのが正直な所です。もし仮に私が父の立場になった時果たしてそんなことが出来るだろうかと考えましたが、そんな心からなる愛し方は出来ないような気がしています。

 たった今、一間置いた台所から「お父さーんご飯ですよ」と妻の声、「ちょっと待て、今大事な所じゃけん」とブログを作成している私、「私は用事があって出掛けにゃあならんので早く食べてください。片付きません」と妻、「も少し待てと言いよろうが」と私反論、まあこんな具合に口喧嘩ならぬ口相撲をとって日々の暮らしが成り立っています。妻も私も分かっちゃいるけどやめられない自分の主張を繰り返しています。でも正直、相手の立場に立って考えるような出来た人間にはまだ成長していないのです。でもでもせめて父の写真に登場する母への想いのように、少しずつ方向転換して行きたいと思っています。

  「この写真母が窓から花見てる父の想いが伝わるように」

  「隠居家の居間に座りて父ポツン母の写真と今日も二人で」

  「十円を落とせば音に振り返る千円札だと落とし気付かず」

  「母の夢見たと親父の嬉しそう話す言葉に安堵しつつも」

 

 

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