shin-1さんの日記

○子どもは地域で

 広島県で子どもが殺され、ダンボール箱で捨てられたショッキングなニュースは、外国人の犯人逮捕という警察の努力で一件落着しましたが、その記憶も失せぬ先日、今度は行方不明になっていた小学一年生の子どもが、茨城県の山中で刃物で刺され捨てられているのが発見されました。目を覆うような痛ましい子どもを巡る事件の続発に、果たして日本の行く末はどうなって行くのだろうと嘆かずにはいられません。一昨夜隣町で開かれた家庭教育学級講演会でもその話が話題になりました。

 最近は家庭教育の乱れが指摘されていますが、こうした事件が起きる度に子どもは学校や家庭だけでは守れない、むしろ地域に目を向けるべきとの指摘が出されるのですが、事件が遠のくとまた元の木阿弥といった感じです。親は夫婦共稼ぎで働きに熱中する余りに地域の防犯などへの参加や組織の役員にはなり手がないのです。そんな人たちがいくら「子どもは地域で守るべき」との結論を出しても、所詮は空念仏なのです。要は子どもを地域の宝と認識し、地域ぐるみの輪の中へ入って自らも役目を果たさなければ、子どもを守ることは出来ません。

 家庭教育学級に参加して思うのですが、講座は主に人の集まりやすい夜に行われます。7時から始まって8時頃になるとひとりまたひとりときまり悪そうに、こっそり会場から人がいなくなって行きます。聞けば午後8時は塾や習い事に行っている子どもを迎えに行く時間だそうで、私はそのことを察知して予定の時間9時を大幅に繰り上げ8時20分に話を終わらせました。すると堰を切ったようにわれ先に帰り始めました。お役所仕事だと家庭教育学級は時間目標が一回2時間です。でも現実は7時から8時までが最も集まりやすいのであればそうすべきだと思いました。

 事件が起こると人はハッとします。しかし何事もなければ何も考えず行動もしません。私たちは子どもを育てる認識として「百年生の木を植える」ような心を持たなければなりません。子どもは百年生きるのです。百年生きる木を育てるには水、空気、土、太陽、栄養の恵みが必要です。家庭や学校や地域をそうした恵みと考えれば、疎かにすると育たないという理論は誰にだって分かるでしょう。立派な木ばかりを育てる必要はありません。普通の木、普通の子どもを育てましょう。

  「学級に来たけど親はそわそわと塾へ迎えの時間迫りて」

  「事件起きその度親は一優し地域大事と盛ん言うなり」

  「PTA来るのは何時も母親で破れたブラジャー父が時々」

  「ガングロも一人前の親となり子に乳飲ませタバコプカプカ」

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