○渋柿の不思議
今年は夏から秋にかけて天候もよく、果物類の美味しさは格別で、ブドウやスイカは過去のものになりましたが、みかんやリンゴ、梨、柿などは甘みも強く、各地から季節の便りとして送られてきます。特に柿は愛媛県内にも産地が多く、美味しい柿が格安で食べれます。あちこちの店先には、篭盛りで300円などと表示された柿が売り場を独占しているような感じです。作った人のことを考えればこの安さはただ事ではないと思うのです。
今年もわが家では吊るし柿を作りました。近所の八百屋さんに頼んで買い求めましたが、その明くる日知人がどっさり届けてくれました。「しもた。買うんじゃあなかった」と思っても、何時いただくか分からない品物を当てもなく待つことは出来ませんから、むいで軒先に吊るしました。妻が手際よく皮をむぎ、私がビニールの紐でくくり格好よくなりました。まるで暖簾のように軒先に吊るした吊るし柿は、まさに冬の風物とでもいえる風情です。
子どもの頃、渋柿と甘柿を間違えて食べた時の口の渋さや、柿の「ずく」という熟れ過ぎた柿を食べて口に残った渋さを思い出しながら、渋柿の不思議を思うのです。
吊るし柿は皮をむいで寒風に晒すとあのえもいわれる渋が甘みに変わるのです。自然が織り成す化学変化なので凡人の私には中々説明が出来ません。昨日から今年一番の寒気が日本列島に流れ込み、各地から初雪の便りが届くようになって、ここ双海町でも寒い季節風が吹くようになりましたが、この乾いた北風が美味しい吊るし柿を作るのです。
最初にむいだ柿は早くも飴色になって、白い手袋をしてお乳を揉むように揉んでやります。そうすると益々甘みが増して美味しい吊るし柿が出来るのだと、おばあちゃんから教わった通りにやってます。
甘いものに事欠く少年時代は甘くなるのが待てなくて、つまみ食いして渋さに口を歪めたこともありました。今の子どもは吊るし柿なんてご馳走でもなんでもなく、見向きもしません。時代の変化なのでしょう。
私たちが子どもの頃は「やれ何処そこの誰が柿を盗んだ」などと、今にして思えば他愛のない出来事が学校に苦情として持ち込まれ、盗んだというより柿を失敬した子どもが竹の鞭で先生に頭を叩かれたなんて話は、日常茶飯事のことでした。かく言う私もその一人で、悪ふざけをして随分先生に叱られ、雑巾バケツを持って立たされたことを覚えています。
正岡子規の「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、いにしえ昔日の出来事になりつつあります。
「柿熟れた下を歩くも見向きせず携帯電話メールするだけ」
「父揉みと同じ動作で柿を揉む嬉し恥ずかし誰か見てるか」
「柿取って隣の親父に大目玉そんな昔は夢のまた夢」
「裏山にポツリひとつの木守り柿モズが啄ばむ冬の足音」