shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月16日

○「ブログやってるんだって」

 最近色々な人からブログについて聞かれます。「ブログやっているんだって」なんて質問です。その言葉の裏には「まさかあなたが最先端のブログなど」とか、「その歳で」と少し私を見くびっての質問のようにも受け止められますが、当の私は「ええこの歳でもしっかり独学で勉強し進化を続けています」と少しだけ胸を張って答えるようにしています。

 それにしても私自身パソコンがここまで使えるとは思っても見ませんでした。パソコン嫌いだった私はパソコンのことを聞かれると、トンチンカンな答えに終始していました。多分自信がないのと不得手が生んだ結果だろうと思うのですが、まだまだ未熟ながらブログだけはマスターして先へ進みつつあるようです。

 先日友人仲間にブログの面白さを話ました。幸い友人の中にはブログをやっている人が数人おり、談義は楽しい方向に向かったのです。「ブログって何?」もいれば、「ブログをやってみてつくづく思うのだが、人のを読むと面白くて自分の書くのを忘れるくらい」とか、「毎日書いているがあれほどの情報を覚えているパソコンは偉い」、「ブログがあれば今まで三日坊主だった日記帳はいらない」などなどでした。

 ある友人が「それほど面白いんだったらやり方を教えてくれ」というのです。「今は教える時代ではない。参考テキストも本屋に行けばいっぱいある。やろうと思えば学ぶ時代だよ」と名言をはいたお陰で、私は難を逃れました。私は自分が面白くても人に教える自信はないのですから・・・・・・。

 数日後、私の元に一通のメールが届きました。あの友人からです。「ブログを書いたのだが読んで欲しい。登録してから誤字脱字に気がついた。どうすれば直すことが出来るか教えて欲しい」でした。私は知ったかぶりでメールを送りました。手直しが成功したかどうかは再信がなにので知る由もありません。

 私が加入しているブログはAmeba by CyberAgent で無料です。時々変なコメントやトラックバックが入りますが、それも余興でしょう。

 ブログのもう一つの楽しみは読んでいる人の人数が分かりその数がランキングが毎日表示されることです。60万人の最低から始めたのですが、目標としていた10万人目を軽く超え、今は1万人を越える勢いです。また日記では3千近くまで到達しました。ワクワクです。

  「三日しか持たない過去の日記帳なのにブログは続いて不思議」

  「あの人のブログ読んだか話題なる母さん集会時代変わりぬ」

  「この記事は読んで欲しいと発すれど無しのつぶてに少々落胆」

  「六十の手習いブログ私でも出来るのだからやろう思えば」

 

 

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月16日

○いい湯だな

 人間牧場の畑の開墾も新しく買った地掘り鍬のお陰で順調に進み、この分だと春の植え付けには何とか間に合いそうです。今日は弁当と温かいお茶を持参して開墾に望みました。今日は温度も左程下がらず、ジャンバーを脱ぎ捨てシャツ一枚で汗だくの作業となりました。10時と3時の休憩は近所のおばさんがくれたポンカンを食べ、お昼は車の中で食べました。弁当は昨日妹から届いて食べ残っていた大きな稲荷寿司を二個とりんごをタッパに私が積めたもので、妻が魔法瓶に入れた熱い玄米茶をフーフーしながらたった一人の昼食です。

 いそしそと弁当を詰める私を見て「まあ珍しい。雨でも降るのじゃないかしら」と妻にからかわれ出発しましたが、妻の予言は的中して4時に雨がポツポツ降り出しました。雨が最初に当る人は野良だそうですが、私もその一人です。今日の目標であった一番下の畑の開墾作業が少し残りそうでしたが、雨にも負けず急いで作業を続行し4時10分に終了しました。耕した後の掘り起した雑草や根っこはおびただしい量で、石ころもかなり出ており、いい天気になったら焼却処分したいと思っています。

 雨が降り出したのを良いことに早仕舞いをして軽四の愛車で帰ると中、急な思いつきで由並小学校を訪ねました。昨年まで教育委員会で一緒に仕事をしていた中尾先生の顔が急に思い出されたからと、この学校の評議委員になっていながら疎遠になっているので、校長先生にもお会いしたかったのです。運良く校長先生や教頭先生、それに中尾先生もいらっしゃって、短い時間でしたがお茶を飲みながら楽しいおしゃべりをしました。昨年の今頃は双海町誌の編集が追い込みで寝る間もないほど忙しく働いて貰った中尾先生も、今は本職の先生に復帰していい仕事をしているようで安心しました。

 学校を出るごろには本降りとなりましたが信号を右折すればわが家なのに、何故か愛車は直進し松前町の温泉にまっしぐら、浴場の人となりました。今日のように慣れない労働をした後は温泉で全体をゆっくり暖め、身体をほぐしておかないと腰痛が心配なのです。サウナで汗を出し、お馴染みの風呂友と談笑して「いい湯だな」の雰囲気です。

 風呂はカラスの行水だった私が、最近は何と1時間半も温泉気分を味わうのですから世の中も変わったものです。お蔭様で今日はゆっくりリラックスして休めそうです。

  「最近は風呂友できて長湯する余裕できたか俺の暮らしも」

  「あれ程にひっつきもっつきした人が今はまったく別の道行く」

  「海見える小高い学校訪ね来てホッと息つき休まる覚ゆ」

  「校長の顔見りゃ分かる内事情冗談飛び出す余裕がいいね」

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月16日

○暦は薮入り

 読んで字の如く余り「迷信」は信じないようにしているのですが、妻や親父は暦を見て「今日は大安で日がいい」などとよく言います。長男の結婚式も妻の見立てで大安吉日を選びましたが、その支払いに式場へ出かけたところ、「多分今日は仏滅だから結婚式はないだろう」と予想して行ったのに、仏滅ながら何組も結婚式があってびっくりしました。式場の人に聞くと「今の若い人は暦なんか信じず、仏滅はかえって空いていたり格安なので逆にそこを撰ぶ人が多いようです」と言うのです。「世の中も変わったものですね」と驚いたのは妻でした。

 しかし大安や仏滅は別として旧暦が少しずつ見直されようとしています。現代の暦は太陽暦ですが旧暦は陰暦といわれるように太陽の明るさに比べたら月の明るさは比較にならないほど暗い月の満ち引きによって暦が作られています。その旧暦は自然をなりわいとする農業や漁業にとって極めて大切な暦なのです。百姓さんが米を作る作業も漁師さんが網を入れるのも全て旧暦が使われているのです。

 旧暦の仕組みは勉強すれば面白いことがいっぱいあるのでしょうが、そんな知恵も余裕もないので勉強はしていません。でも寒の入りや大寒はおおよそ寒さのピークを言い表せているのですから信じないわけには行きません。

 今日1月16日は新暦の薮入りです。私が若いごろはといえばさも古い人間のようですが、結婚した頃は薮入りという風習があって、妻の実家へ里帰りに行きました。長閑な時代だったのでしょうか、この日は役場も気を使って昼からは最低限の人を残して半ドンにしていました。妻の実家は街の中で藪などないのに何故薮入りか不思議に思いつつ、今もその謎は解けていませんが、妻の両親が亡くなった今では薮入りもなく、また母の亡くなった我が家へも薮入りに来る兄弟はいなくなりました。

 二日前、突然にわが家へ電話がかかってきました。「お父さん」と聞きなれない若い女性の声が電話口から聞こえてくるのです。聞きなれた長女娘の声でもなく一瞬たじろきましたが、その声の主は長男の嫁の声だったのです。いきなり言われた「お父さん」の声に正気を取り戻すのに少々時間がかかりましたが、お母さんに代わってくださいと言われ代わると、「明日は日曜日なので行ってもいいですか」だったようです。妻曰く「薮入りのつもりかねえ」。私はすっかり薮入りのことなど忘れていました。

  「藪から棒言われて薮入り思い出すどちらの藪を目指すか息子」

  「今朝の月まるで昼間の明るさで庭先照らす息子出てゆく」

  「ジャガイモを植える準備の忙しさ暦めくりて種芋頼む」

  「餅を焼く昔は七輪今レンジ膨れっ面は今も昔も」

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月16日

○わが家の掛場帳

 私たちが子どもの頃、背中に大きな風呂敷包みを背負って置き薬の行商人が各家々を回っていたのを覚えています。玄関先で大きな包みを開け、神棚の横に大切に置いている薬箱を母が下ろすと、その人は世間話をしながら中身を点検して、無くなったものを入れて仕切り書を渡し、代金を受け取って何処かへ去っていったのです。近くにはキッチン宿があって学校へ行くときその人が出入りするのを見ましたから、多分この宿を拠点に売り歩いていたのでしょう。

 富山は当時遠い国でした。薬売りは一年を通じて旅をしながら薬を各家に届けるのですが、子供心に「あの人は他所の県の人だのに何であんなに家々を知っているのだろう」と不思議に思ったものです。ある日薬屋さんにそのことを尋ねたら、そのおじさんは「長年やっていると家の位置やその家に何人人間がいるかくらいは頭と体が覚えているので、目をつぶってでもその家に行けますよ」と言うのです。私はその薬屋さんを偉い人だなあと思ったものです。

 ところがある日、この薬屋さんは私の母に隣の家のことを詳しく聞いているのを見てしまいました。薬屋さんはカバンの中から何やら大切な分厚い帳面を出し、そこへ記入しているではありませんか。それが薬売りにとって命より大切な「掛場帳」であると知ったのは、テレビで薬売りの特集を見たからでした。親から子へ、子から孫へ代々受け継がれた「掛場帳」は薬業界の革命によってその価値をなくしたそうですが、絶対人に見せないといわれる「掛場帳」の存在は、薬売りの命だったのです。

 わが家にも個人情報と言われる「掛場帳」が2冊存在します。一冊は年賀状用の筆王というソフトに組み込まれた住所録です。これは長年の出会いや縁を頼りに作成した私にとって大切な交遊メモなのです。もう一冊は妻が保管の祖母、母の葬儀、法要に使った香典名簿と入院、出産、建前、入学、卒業、結婚など、わが家の節目ごとの祝儀の状況が詳しく書かれています。新聞のお目出度お悔やみ欄や知人からの情報の度に、わが家の「掛場帳」はめくられ大きな効果を発揮するのです。最近はパソコンが普及したので、入力しておけばよいと妻からは整理を頼まれているのですが、いっこうにラチがあきません。

  薬屋さんが来ると四角や丸い紙風船をくれたりするので、遊び道具とてなかった少年の頃のことゆえ嬉しかったことが昨日のことのように思い出されます。今は農協が置き薬運動をやっていますので、やはり同じように薬屋さんがたまに詰め替えに来ますが、薬箱の薬は幸か不幸か余り減ってはいないようです。

  「見ず知らず顔も覚えぬ薬売り玄関座って風船くれる」

  「亡くなった噂が我が家の掛場帳開け値踏みの香典包む」

  「香典の中身で決まる縁深さケチすりゃ明日から挨拶そこそこ」

  「旅先にあの人亡くなる連絡が香典送れと妻に指示する」

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月15日

○早くも水仙祭

 今年の冬日本中では大雪だというのに、四国の双海町では早くも春の使者ともいえる水仙が咲きそろい、芳しい香りをあたり一面に漂わせています。その様子を観察しながら「花はどうして季節を感じるのだろう」と不思議に思うことがあります。凡人の私にその回答はありませんが、一年に一回しか出番のない花ですから、自分が一番咲きたい時に咲くだけの話かも知れません。

 水仙の名所は北陸越前海岸や淡路島などが有名ですが、いずれの地も北向き急斜面という決して好条件でない所に咲くようです。水仙も外国から輸入されたり交配によって今では500種類ともいわれるくらい多くの水仙を見ることが出来ますが、やはり何と言っても日本人に愛されるのは、花といい香といい、容姿といい日本水仙といわれる在来種ではないでしょうか。

 私の町の水仙も在来種の日本水仙ですが、中には金管が八重の在来種がありますが今一人気がないようです。私の町の水仙は金山泰森さんという人がみかんの廃園に植えて世話をして水仙畑を作ってからすっかり有名になりました。私もその片棒を担ぎまちづくりの一貫としてPRに努めました。金山さんから広報部長と言われるほどにお互いの信頼関係を密にしながらやって来ましたが、今は高齢化した金山さんに代わって息子さんがその世話をしています。

 また、地元に誕生した花の会が水仙の圃場を作って管理しながら水仙祭りを計画実行しています。昨日はあいにくの雨でしたが、今日は心配された雨もあがり、多くの観光客で終日賑わいました。

 今日は微風で空には色とりどりのパラグライダーが長閑に飛び、シーサイド公園の観光客はパラグライダーが降りる度に驚いた様子で見守っていました。

 ちょっとしたきっかけですが、冬の何にもない季節にこれだけの観光客を呼ぶのですから、わが町にとって水仙は次に咲く菜の花と共に、まるで救世主のようなものです。水仙を仕掛け売り出した私としてはうれしい出来事ですが、イベントは続けることも意味があります。でももっと大切なことは高めるというアイディアも大切だと思うのです。そのためには今年の反省に立ってお互いが知恵を出し合うことが大切です。携わっているある職員が「残念なことにこれまで深く関わってきた職員も、他に異動すれば姿を見せなくなることです」とぼやいていましたが、「仕事だからまちづくりに関わる」のではなく、たとえ異動しても一人の町民として参加協力するような人間になりたいものです。

  「今年また水仙咲いたとテレビ言う寒さ我慢の坂道登る」

  「水仙は私の推薦する花で清楚な姿誰かに似たり」

  「北向きの急な斜面に咲き誇る白き水仙誰が植えたか」

  「水人と山を合わせりゃ花になる花守おばちゃん今年も元気」

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月15日

○病気見舞い

 病気になって入院するというのは何とも気が滅入るものです。特に家族にとって誰かが入院するとその世話などで慌しく過ごさなければならないので大変だと思います。滅多に入院しない健康な人が入院すると直りも早く、急いで見舞いに行かないと恥をかくことがあるのですが、二度三度と同じ病気で入退院を繰り返しているような人は、本人は勿論家族の心配も深刻です。そんな人は余り見舞いに来て欲しくない人もいて、「誰にも言わないように」と緘口令を敷いての入院は、見舞いの見計らいが中々難しく気を使います。

 友人からAさんが入院しているという情報が入りました。同じ病気での度重なる入院だけに今回は2ヶ月の加療入院と診断されていて長引くため、みんなには内緒で入院しました。昨日は土曜日だったので午前中見舞いに出掛けました。病院は休みとあって日ごろは混んでる長い廊下も静まり返り、見舞いの人が無言で行き交うだけの寂しさでした。私もかつて入院したことのある馴染みの病院だけに勝手知ったる手合いで病室へ行きました。

 Aさんはベットに横になってラジオを聴いていました。私は携帯電話で訪問を知らせていましたので、心待ちにしていたようで起き上がって話をしてくれました。何でも肝機能障害で検査の数値が考えられないくらい高いとかで、話の途中で尋ねてきたきた奥さんを交え病気談義に花を咲かせました。私より3歳も若くまだ現役ですが、3人の子どものことも目鼻がつきそうなので自分の進退を考えているとも聞きました。青年時代から青年団で鍛錬しまちづくりも共に励ましあってきた最も気が合う仲間の一人だけに、早く元気になって欲しいと願っています。

 病気上がりの決して元気100㌫とはいい難い私ですが、最近になって同年代の仲間が体調を崩したり、先に逝ったりするものですから、気になって仕方がありません。今日の病院見舞いも正直自分の健康に置き換えて考え、少ししんみりしてしまいました。

 「早く元気になって退院しろ」と彼を勇気付け病院を後にしました。

 家に帰ってそのことを妻に話すと、その日は何故か妻が優しいのです。もっと長生きして欲しいとの魂胆でしょうが、「お前が毎日こんなに優しかったらええのに」と皮肉を言ったら、「私は毎日優しい」とやり返されました。

  「病院へ友の見舞いに行く私次は逆さにならぬ限らず」

  「足音で誰だかわかる長入院病は気からと勇気付けるが」

  「寒さなど分からぬ病室常春で快適なのに恋しき我が家」

  「やつれ顔少し痩せたと世辞言葉言って病室ドアノブそっと」

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月15日

○消防団の法被

 今日は消防団の出初式だそうです。早朝7時有線放送のサイレンが防火の意味を込めて鳴り響き、出初式を告げました。合併した今年は消防団にも変化が起こり、団員の法被がこれまで慣れ親しんだ双海町から伊予市に様変わりしました。今朝散歩をしていると伊予市と大書した法被を着た人たちがあちらこちらを歩いている姿を見て、何か違和感を覚えたのは私一人ではないのではないかと思います。大雨や災害の度に双海町の法被がわが町の人命や財産を必死になって守ってくれました。特にわが家の裏山は地盤が弱く、何度も災害に見舞われましたが、双海町の法被は大活躍でした。ここにも合併で消えたもの、新しく生まれたものがあるようです。

 消防団は日本が世界に誇るコミュニティボランティアです。近年は地域の高齢化によって、またボランティア精神やコミュニティ社会の崩壊によって消防団も存続の危機に直面しているようですが、防火防災が大きなテーマの現代にあって、消防団は何としても残し伝えておきたい組織だと思われます。私たちは消防団にのみおんぶにだっこするのではなく、自治会なども積極的に安心安全面での自主防災組織を作るなどして、自らの地域は自らの力で守ってゆかねばなりません。

 私もかつては消防団員として在籍し、役場に入ってからは役場消防班員として、消防活動に加わりました。これからはその経験を生かし自治会長として及ばずながらお手伝いしたいものです

 私の家に、今では文化財のようになってしまった一台の手押しポンプが保存されています。廃品回収の憂き目に会った手動のポンプです。今は自動化されたポンプになりましたが、かつてはこのポンプも最新の道具として、高い金を払って購入したに違いありません。骨董を趣味としている親父が譲り受けて磨いたものですが、さすがに年代物で防火思想の普及にはうってつけ、見学にこられた方々も珍しそうに触っています。

双海町から伊予市に変わった法被、手押しポンプから消防自動車に変わった消火道具、時代は変わっても消防の重要性は今も昔も変わってはいません。

  「父磨く手押しポンプの古めかし豊かな社会見向きもされず」

  「出初式興味あるのは後宴会綺麗どころをはべらせ飲んで」

  「新しき法被凛々しい消防団長靴ネクタイ合わぬ思うが」

  「寝たきりの叔父も昔は団長で胸に功績バッチ付けてた」 

 

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月14日

○今年の夢

 新しい年の始まりあたって今年の夢を考えてみました。私ぐらいの年齢になるとさすがに健康第一を考え、夢など早々見つかるものではないのですが、私の今年の目標は何といっても昨年始めた「人間牧場プロジェクト」の完成を目指しています。「人間牧場プロジェクト」には「水平線の家」などのハード面を整備することもさることながら、人間牧場を使ったソフト面の充実も図らなければなりません。私一人がやることですからそんなに大きな事業は出来ませんが、当面はミニフォーラム「宮本常一からの学び」と題する20人程度の集会を3月までにやって、「水平線の家」の使い勝手をテストする計画です。そして6月には「逆手塾」の誘致が決まっていますので、その実現に向けて全力投球をしたいと思います。既に広島の和田さんや宮崎さんからは、様々な情報発信手段で熱烈なラブコールがかかっています。

 そのために今日、第2期工事の着工に向けて息子と人間牧場で打ち合わせを行う計画です。第2期工事は念願の五右衛門風呂館の建設です。既に土台工事は完成しているので大工工事は簡単だと思われるのですが、左官工事が難工事ではと心配しています。何せ第1期工事に思わぬ出費がかさみ軍資金が底をつきそうなのです。もう一つやらなければならないのは、人間牧場に隣接する用地の購入です。地権者の方とは既に接触して売ってもいいとの了解を得ているのですが、金額面でどうなるか心配です。

 次から次へと広がってゆく私の夢は、妻に言わせれば「あなたの夢はもう限界にした方がいい」というのですが、「これ以上家庭を巻き込まないで欲しい」というのが正直なところでしょう。しかしそう言いながらも自分の友人に「人間牧場を作っている。そのうち遊びにおいで」などと盛んにPRしているのです。

 人から見れば他愛の無い私の夢ですが、それでも私にとって今年最大のプロジェクトであることは言うまでもありません。

 昨日、昨年まで上灘中学校の校長先生だった窪田久谷中学校の校長先生が人間牧場へやって来ました。窪田先生はトンボの製作で昨年度随分世話になった方です。人間牧場に赤トンボの館を建てる計画に同調していますし、これから赤トンボを特産品として売り出す算段も考えています。

  「初夢を追いかけ今年もひたすらに一本の道てくてく歩く」

  「夢があるだから今日も楽しくてせっせと道具砥石で磨く」

  「見た夢とやる夢違う落差あり見た夢やれずやる夢やろう」

  「ああでもないこうでもないと思案する夢は果てなく宇宙の彼方に」

 

 

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月14日

○シップを張る

 私の毎朝の日課は、朝起きると同じ敷地内の隠居家を訪れ親父の機嫌を伺う事からから始まります。春夏秋冬夜明けの時間は異なりますが、親父は一貫して毎朝5時には起床しています。漁師だった親父は漁に出てた頃は漁村でも早起きの部類で、誰よりも早く出漁していましたので、その頃から比べると遅くはなりましたが、5時過ぎにはテレビの音が離れた私の部屋にも伝わってくるほど早いのです。早寝早起きをモットーにしている親父の影響は、親父の早起きの姿を見ていたからかも知れません。

 「じいちゃんおはよう」と耳の遠い親父に声を掛けると、「何っ」と問い返してきます。私は「じいちゃんおはよう」と同じ言葉を二度繰り返すのです。一見面倒くさい感じもしますが、これが親父と私のコミュニケーションのとり方なのです。

 若い頃大病を患った父も最近までは元気に暮らしていましたが、さすが88歳の老域はいかんともし難く、あちらこちらが痛いと訴えるようになりました。特に腰は毎朝病院で作ってもらったコルセットを巻いて重装備の出で立ちですが、毎朝この腰に病院からもらったシップの張り薬を2枚張るのは私の役目なのです。

 昨日までのように寒い日は冷シップを調節肌に張るとまるで冷蔵庫に入ったような冷たさで、身震いしていますが、それでもこれが健康のためと我慢しています。また私が昨日までのように少々長く旅に出ると、家内に張ってもらうようですが、息子の嫁とはいいながらさすがに異性を意識するのか気がねがあるようで、「進一は何処へ行ったのか。いつ戻ってくるのか」と妻にしつこく尋ね私の帰りを待っているようです。

 歳をとっての隠居生活は時々不安になるようで、目や耳が不自由になったためか、枕元には病院、息子、娘の電話番号を大きく書いて、いつでも電話できるようにしています。面白いのはその大書した電話番号の中に鯉屋さんの番号もあります。池で飼っている鯉の救急病院とでも言うべきなのでしょうが、自分の病気と鯉の病気を同じに考えているのです。

 これからも寸暇を惜しんで親父の隠居を覗いて世話をしてやろうと思っています。

  「寒い朝シャツを上上げシップ張る思わず身震い父の背中が」

  「今朝もまた少し縮んだ父の背に手を暖めてシップ張るなり」

  「米食って八十八の米寿まで乗り越え生きた人生立派」

  「テレビ音ボリュームいっぱい賑やかにまるで劇場だのに一人で」

 

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shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年1月13日

○好きになれない携帯電話

 私は今でも携帯電話を好きになれません。この3日間長旅で家を空けていたものですからメールも見れず、連絡はもっぱら携帯電話と相成りましたが、電車の中や講演中もじゃんじゃん鳴って対応に大忙しでした。電話は相手の置かれている立場が分からないので仕方がないと思いますが、それにしても驚くほどの数の電話が携帯にかかってきたのです。丁度運悪く旅の荷物を軽くするため予定表を家に置いていったものですから、対応に苦慮しました。昔は家にあった電話が今は人間について歩く時代になって、便利にはなったけれど電話に追いまくられる生活は、何とも不自由な日々です。

 私にかかってくる電話の中で多いのは人の紹介です。「××の研修会をしたいのだが、誰か良い講師はいないか」とか、「××という先生に講演を依頼したら断られた。あなたから依頼すれば何とかなる」など、まるで「私は口入屋か」と言いたくなるほどの電話です。私の人脈の広さと深さを察知してのことでしょうから、それなりの対応をしてあげることもやぶさかではありませんが、紹介だけならまだしも「あなたから一押ししてください」は中々骨が折れるものなのです。もっと大変なのは「講師料がないので何とかして欲しい」と泣きつかれ、講演料まで私に折衝させるのですからし正直しんどいです。

 昨日の一件などはひどいもので、自分たちの都合で日程が変更になりながら、変更の通知もせず講師に叱られて「あなたから詫びて欲しい」とのことだったので、「そんな失礼があるか」と電話で担当者をしかりつけましたが、私が口をを聞いた人なので講師に詫びの電話を入れました。その講師から苦情を言われましたが、昨日ははそれで一日中振り回されてしまいました。それでも携帯電話があったから昨日の内に処理できたのですから携帯電話にお礼を言わなければなりませんね。

 講演会場で昨日司会者が、「携帯電話をお持ちの方はマナーモードに切り替えるか電源をお切りください」とアナウンスしたにもかかわらず、会場で数回携帯電話の呼び出し音が聞こえました。その都度話している私は気になって話が中断するような違和感を覚えました。また列車に乗っても同じようなアナウンスがあるのですが、相変わらず大きなな声で車内での対話となっていて、不快感を表す人もいたほどです。

 私のような古い人間は携帯電話の呼び出し音を聞くとドキッとします。携帯電話は今の社会には必要な道具かも知れませんが、せめてマナーは守りたいものです。

  「どれ程の機能があっても使えなきゃ何にもならない携帯ポッケに」

  「携帯で話しながらもお辞儀する敬服しますあなたの態度」

  「おばさんの着メロ何とアイドル歌思わずみんな振り向きええっと」

  「左手に携帯右手タバコ持ち粋な姉ちゃん信号で止まる

 

 

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