人間牧場

〇あれから12年が経ちました

 昨日は忘れられない2月10日でした。12年前の2001年2月10日は私が「昇る夕日でまちづくり」という自著本の、出版記念パーティを南海放送本町会館で開いた日でしたが、たまたまその日、私の母校である愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と、ハワイ沖で衝突し、500メートルの海深く沈み、尊い9人の命が亡くなったのです。沈んだえひめ丸は4代目の船でしたが、私は初代の愛媛丸に乗って18歳の時、オーストラリア近くの珊瑚海までマグロを追って、遠洋航海に出かけているのです。私の人生には色々な出来事がありましたが、とりわけ実習船愛媛丸での航海や、第10回総理府派遣青年の船で、建国200年のアメリカまで太平洋を渡った航海は、異文化ギャップの中で私の価値観を変えた大きな出来事だっただけに、えひめ丸の沈没は私の心に大きな衝撃を与えた事件だったのです。

 歴史は時代とともに風化するものですが、人はどうであれ私にとって2月10日は忘れることができない特別な日なのです。遺族にとっては忘れようにも忘れることのできない悲しい日でしょうが、私の知る限り私と同じようにこの日を特別な日と思っている人がもう一人います。それは私と同じ初代の愛媛丸に乗って遠洋航海に出かけた経験を持つ、大先輩の玉井恭介さんです。玉井さんは私の自著本を編集してくれた人で、水産高校で唯一今も交流している尊敬する人物です。玉井さんは絵も書けるし文章も書ける、プロデュースもできる、私など足元にも及ばない多芸マルチ人間で、かつて遺族や学校、行政等の間の難しい調整に奔走し、ハワイと宇和島に記念碑を造ったり、その後の慰霊や交流に陰ながら大きな足跡を残しているのです。鎮魂歌「希望海」の作詞も玉井さんの手によるものですが、深みの人と浅みの人とでは思いがかみ合わず、12年経って風化を感じる玉井さんの想いとは裏腹に、この史実が人々の心の中から次第に消えようとしていることは、返す返すも残念なことで、玉井さんの心を思うといつも胸が熱くなるのです。

自著本「昇る夕日でまちづくり」の一節

自著本「昇る夕日でまちづくり」の一節

 2月10日の前日の2月9日、私は旅先の大阪にいましたが、講演が終わってJR三田駅から大阪に向かう列車の中で、いつも木のカバンに忍ばせている、玉井さんが編集してくれた「昇る夕日でまちづくり」という本を取り出して、感慨深く再読しました。私の自著本の冒頭には若かった水産高校時代の私の顔写真と、初代愛媛丸の写真が載っているのです。私と玉井さんが多分死ぬまで、いや死んだ後も忘れないのは自分たちの旅立ちとなった初代愛媛丸のことなのです。
 玉井さんは私のようなたまにしか学校に訪れない無信心な人間と違って、事ある毎に学校の鎮魂碑を訪れ、周辺の掃除や祈りを欠かさずやっています。また自分が所属するコーラスグループで、「希望海」という歌も歌っているようです。
 玉井さんも私も次第に老いの坂道を下りつつありますが、五代目えひめ丸に長い航跡を引き継いでいる実習船の安全航海と、活躍を心から祈る一日となりました。折りしも昨日はその思い出を忘れないように開いたのか、忘れてしまったのか、8千人の人が参加してえひめマラソンが賑やかに開かれていました。勿論誰の口からもそのことには触れられなかったようで、少し寂しく思いました。

  「一口で 十二年と 言うけれど あの日あの時 ありあり思う」

  「日本に あなたのことを 忘れない 人がいること 忘れないでね」

  「希望海 口ずさみつつ 涙ぐむ 歴史は非情 記憶消しつつ」

  「旅先の 列車の中で 自著本を 取り出し読みつ 大阪向かう」

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