shin-1さんの日記

○一足早いサツマイモの種芋伏せ

 このところの陽気はもう春本番です。裏山にはユリ根が濃い緑色の葉っぱを出し、周りの雑草も足繁く降る雨水をいっぱい吸い込んで、次第に緑のジュータンを広げたようになりつつあるのです。この分だともう1~回程度寒さがくるかもしれないけれど、一気に春へと突入しそうです。

 そんな温暖な気候に誘われて、人間牧場の腐葉土を作るビニールで被覆した苗床では葉っぱが腐って発酵しているようでした。そこで昨年より一週間ばかり早いのですが、思い切ってサツマイモの種芋を伏せることを思いつきました。

 松山へ行った帰りに伊予市の仙波青果へ立ち寄り、銘柄である鳴門金時を一箱買い求めました。サツマイモはもうそろそろ終わりのようでしたが、人は子に30個程度入った少し小ぶりのものを選びましたが、種芋代が1500円は少々お高く感じますが、順調に行けば4月には芽を出し、5月中旬には立派なツルが伸びれば安いものなのです。これまで3回ばかりこのような見よう見まねの方法でツルを確保しているので、今年も多分順調に育ってくれるものと期待しているのです。

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 落ち葉の腐葉を促すために覆っていた透明のビニールを半分剥ぎ取り、熱を持って腐葉が進む木枠の中の腐葉土を3つ鍬で万遍に撹拌して腐葉土の中に空気を送り込みます。その腐葉土を万遍に均すと、今度は昨年落ち葉を入れる時に出して置いた赤土をスコップで元に戻して行くのです。これが結構きつい仕事でウインドブレーカーの作業着を着ていたために1時間ほどの作業で汗びっしょりになり、いい汗をかきました。

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 やがて土戻しが終わりいよいよ植え付けです。種芋を土の上へ万遍に間配りして、一つ一つ大事に穴を掘って土を被せ伏せて行きました。これで土の下の切り替えした腐葉土が再び発酵して地熱を確保するため、畑に植えたよりも早くツルが確保できるのです。

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 植え終わった苗床には再び透明のビニールをかけて、風に飛ばされないようサン木を打ちつけて作業を終えました。私のカレンダーによると昨年が3月7日、一昨年が3月10日でしたから、今年はかなり早い作業でしたが、これが表に出るか裏に出るか、注意深く見守りたいと思っています。

 昨年は宮本常一のこともあって、種芋をゆかりの周防大島に渡った時に買って帰ったものを使いましたが、ツルの伸びが今ひとつでした。今年は徳島県産鳴門金時を選びました。これも楽しみの一つです。
 この5年間毎年のように繰り返してきたサツマイモの植え付けですが、今年もいいツルを確保して子どもたちと一緒に命のリレーをしたいものだと、張り切っています。


  「春が来た 今年も子どもの 顔思い 種芋一つ また一つ植え」

  「サツマイモ 食えば美味しい はずだけど ツルを伸ばして 増産します」

  「一週間 早く植えたは 吉なのか それとも凶か サイコロ振った」

  「ツル買えば こんな苦労も 要らぬのに 回り道する ゆえにワクワク」


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○伊予市商店街の雛飾りは必見の価値があります

 「♭あかりをつけましょぼんぼりに お花を活けましょ 桃の花♯」なんて歌が、思い出される季節がやって来ました。今の世の中はどちらかというと早稲系で、一足早い先取りの行事が多いようですが、本当は雛祭りや端午の節句といった伝統的行事は旧暦を使う方が正しいのに、都合のよい使い方をするのもやはり「とっつき易くて冷め易い日本人」のファジーな正確なのでしょう。まあ雛飾りくらいで、そんなに目くじらを立てることもないのですが、昨日何気なく通った伊予市商店街でそれは見事な雛飾りを見てびっくりしました。

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(お雛様に負けず劣らず昔若かった美女たち)

 ご主人と洋服店を営む谷岡和美さんと、徳本研三商業協同組合長さんを通じてひょんなことでお知り合いになって3年が経ちましたが、今ではお互いがお互いの書いているブログを読んだりメッセージを書き込んだりして、楽しいお付き合いをしていますが、そのブログにいっぷく亭や商店街の皆さんが中心になって雛飾りをやっていることは知っていましたが、次第に盛り上がって年々歳々進化しているようで、街中や商店街から人が遠のくシャッター閉じの時代にありながら、すばらしい取り組みだと思いました。

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(初めて見た珍しい雛飾りの掛け軸)

 私が立ち寄った田村家具さんの店先には、売っている家具の前に堂々と雛飾りが展示され、道行く人の目を楽しませるように工夫されていました。また谷岡さんのお店の筋向いにも雛飾りが飾られ2ヶ所見ただけでも堪能するような素晴らしい出来栄えでした。

 谷岡さんと武田さんの案内でとりあえず2ヶ所を見ましたが、これ以外にも街角雛飾りは沢山やられているのだと、作成したマップを見せてもらいましたが、妻を連れてきて見せてやりたいと思いました。

 男の私に雛飾りは姉や妹のくらいしか思い出がなく、雛飾りよりも雛飾りに飾った菱餅やあられ、白酒が気になった記憶しかありませんが、こうして廃れ行く日本の伝統文化や行事を遺しつたえることはとても大切なことだと、立派な雛飾りを見て嬉しくなりました。

 何でもそうですが、この雛飾りを始めたり続けたりすることは容易なことではありません。ましてや商店街の斜陽化や高齢化を考えるとこれまた一苦労があるようです。長続きをするためには人が何と言おうとやっている人たちが楽しむことなのです。谷岡さんや竹田さんの姿を見て、そんな気がしました。


  「いやあ凄い 商店街の 雛飾り 日本文化も 捨てたものでは」

  「商店街 なんだかんだと 言うけれど エミフルなどに 負けておれるか」

  「三人の 美女を写した 写真見て これぞまさしく 家具屋姫です(笑い)」

  「学校の 子どもに見せて やりたいな これぞまさしく 社会見学」 

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○芸は身を助けマナガツオが届きました

 三日前の出来事です。友人から挨拶の原稿を頼まれました。私は町の便利屋とでも言うのでしょうか、進水式や結婚披露宴、同級会などには挨拶がつきものですが、日ごろ慣れていない人たちにとってみれば、挨拶くらい頭を悩ませる厄介なものないらしく、その都度挨拶原稿の下書きを依頼されるのです。別に私がするわけではないため適当に書けばいいのですが、頼まれた相手がどんな立場や地位なのか見極めて書かねばならず、結構難しいのです。それでも頼む方はいとも簡単に「ちょっと簡単でいいから書いてや」と頼んでくるのです

 パソコンが普及して随分楽にはなりましたが「簡単に」といわれても、時には筆が進まず半日だってかかることもあり、私的には余り頼まれたくない雑用なのです。それでも相手は多数いてこんな地域に住んでいるのだから仕方あるまいと半ば諦めて原稿を書きました。気をつけなければならないのは日ごろ挨拶に慣れていない人は、私の書いた原稿を懐にしのばせるのならいざ知らず、そのメモを取り出して棒読みすることだってあるのです。

 原稿を書いてあげると恩を感じるのか、漁師さんなどは時々大きなサワラ一匹とかとんでもない高価な贈り物が届くのです。

 昨日は外出先から帰ってみると今が旬のマナガツオが届いていました。聞けば「先日書いてもらった挨拶原稿のお礼に」とわざわざもって来てくれたそうなのです。豊田漁港ではこの最近マナガツオが獲れ始め、多い人は一網5百万円もの水揚げがあって、久しぶりに浜は活気付いているようでした。もっとも大漁の船は4~5隻のようで、青森県大間のマグロではありませんが、マナガツオの群れを追う漁法はリスクも大きく、群れを見つけれない人は漁獲ゼロの悲哀をなめているようです。私に届いたマナガツオもそんな猟師さんの思いのこもったいただき物だけに、刺身、塩焼き、味噌汁などに料理して飛びきりな春の旬を楽しませてもらいました。

 芸は身を助けるといいますが、原稿を書ける裏側には何度となく人の挨拶を聞く機会に恵まれ、自らも人の前で話をした経験を持たないと、人の話す挨拶とはいいながら原稿は書けないものです。時候を盛り込み本題に迫る挨拶はいつも頭を悩ませますが、これも人助けだと思ってこれからも頼まれれば書いてあげたいと思っています。

 そんな矢先の今朝、ある県のある町のある町議会議員さんからメールが入りました。読めば議会の一般質問をするらしく、その質問の内容がしっくりいかないらしく、手を入れて欲しいとの依頼でした。一般質問は二日後の月曜日だそうですが、明日中には欲しいとの催促です。私は今日も明日も忙しいので困ってしまいますが、今朝出かける前に手を入れて送り返さなければならないと、早々にこのブログを書き上げ終わる予定です。


  「ちょっとだけ 挨拶原稿 書いてくれ 頼まれ御礼 マナガツオ届く」

  「ちょっとだけ 頼む相手は いいけれど 書く方結構 大変ですよ」

  「書かぬのに 妻もおこぼれ マナガツオ 美味い美味いと 舌を打ちつつ」

  「世の中にゃ こんな便利屋 いてもいい 役に立てれば いいではないか」 


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○久しぶりの宇和島

 愛媛は東予、中予、南予と概ね3つに分類区別され、それぞれの地域に独特の文化を持っていますが、私たちの町は中予地方といいながらその外枠のような不便な地域に住んでいます。しかし南予から比べると愛媛県の中心と目される県庁や県庁所在地松山市、それに松山空港などに行くのには1時間圏内で異動することができて、車の運転が出来る私などはその恩恵にあずかっているのです。しかし車に乗れない高齢者などにとっては公共交通機関であるJR予讃線などがあるものの、松山の病院へ通院することや買い物などに行くのも一日がかりで、かなり不便をきたした地域なのです。

 人間は人の不幸や不便と自分たちを対比しながら、「不便といっても南予よりはまだましだ」などと下を見て暮らすような悪しき習慣があるのです。戒めなければならない対比思考はいつも人間に付きまとう考えのようです。

 昨日は南予地方局の招きで宇和島へ出かけました。「11時30分までには来て欲しい」という担当者の言葉から逆算して、多分ゆっくり走れば2時間以内で着くだろうと、少し余裕を持って午前9時に身支度を整え自宅を出発しました。昨日は朝から一日中雨で、大洲・西予、宇和島と通った南予各地は一部霧が発生するなど、すっかり春を思わせるような気温でした。

 高校生時代宇和島に3年間遊学した私にとって、特に法華津湾が見える法華津峠は何処か郷愁を感じるところです。予定より少し早い11時に宇和島市内へ入ったので、宇和島市役所へ表敬訪問しました。表敬といっても別に偉い人に会うわけではなく、えひめ地域政策研究センターで2年間お世話になった谷本さんの顔が見たくなったのです。観光課にはANAから出向している小林さんや、えひめ地域づくり運営委員の山田さんも何故か3人が席を並べているため、楽しい立ち話をさせてもらいました。偶然えひめ地域づくり運営委員会事務局長である津島の森田さんにも出会い、少し早く出た余裕の出会いを喜びました。宇和島市役所観光課では、今日から行われる「海の恋人祭り」の準備中とかで忙しく振舞っているようなので早々にお暇しました。

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 宇和島駅の直ぐ近くにある南予地方局の駐車場は満車で駐車できないと思いきや、偶然にも一台空いて今日は男時と自分の幸運を喜びました。地域政策課に大森課長さんや八十島さんを訪ね、懐かしい顔々に出会って心が和みました。同じ会合に出席する甲岡鬼北町長さんとも普及センターで同席しました。かつては同じような仕事をしていた町長さんは私のことをよく覚えていて、嬉しい限りでした。

 12時から開会式があり、生活改善グループの方々が作った郷土料理の数々に舌鼓を打ったり、豆腐料理の審査をしたりしながら私の出番を待ちました。少し時間を押して2時30分から1時間、公園をさせてもらいましたが、会場に走り日とも沢山いて楽しい雰囲気で話を終えました。

 往復150キロ余りの距離を走った宇和島での仕事でしたが、やはり南予は遠いですね。でもこんな遠い所から毎回松山での会合に出席する皆さんのことを思うと、中予に住む幸せを感じずにはいられませんでした。

  「久方に 法華津峠の 絶景を 横目見ながら 宇和島向かう」

  「この坂を 蒸気機関車 煙吐き 上り下りした 青春懐かし」

  「遠いけど 思い出詰まる 城下町 春雨煙る 向うにお城」

  「一時間 喋りに二時間 かけて行く 一日がかりの 講演楽し」

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○春一番

 昨夜から今朝にかけて双海町では南西の風が吹き荒れ、どうやらこの風が春一番のようなのです。北陸では数日前既に春一番が吹いたとニュースで報じられていましたが、この地では冬から春に季節が変わる南風を春一番と呼んでいて、冬の寒さに弱い西国四国では誰もが春一番の吹くのを心待ちしていただけに、嬉しい春の知らせなのです。春一番を待ち焦がれていたように、町内のあちこちではもう早咲きの桜もお目見えし、双海を代表する閏住や本村の菜の花も満開を迎えているのです。

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 昨晩は人間牧場で開設している年輪塾の役員会を松山市駅裏の「ふじ」という居酒屋でやりました。役員といっても塾長の私と塾頭の清水さん、それに番頭米湊さん、松本さん、浜田さんそれにえひめ政策研究センターに出向して研究を積み3月1日の異動で古巣の四国電力へ帰ってゆく政木さんの6人だけなのです。

 民俗学者宮本常一に焦点を当てた年輪塾も2年間の学びを終え、いよいよ本格的な塾活動に入りますが、これから2年間は二宮尊徳の生き様に迫る活動を行う計画です。既に清水塾頭は尊徳翁夜話を読みほぐして教科書とでも言うべき資料を作って塾生にネットを通じ配信しているのです。


 4月24日(土)には人間牧場で二宮尊徳の第一回学習会がいよいよ始まるのです。年輪塾は来る人拒まず、去る人追わず」を塾是として門戸を広げていますが、自らの成長や進化を促すような学習人間はそんなに多いものではありません。でもたとえ少数でも先人の教えに触れながら成長や進化が出来たら、量より質をの自立する人間づくりを目指す年輪塾は十分社会の要請に応えたことになるのです。

 人間牧場が出来て5年、その間この2年間の学びの成果を自分に置き換えれば、自分自身が驚くほどの成長を遂げているのですから、学びの効果は大したものです。

 三人寄れば文殊の知恵、昨晩も多くのアイディアや夢が語られました。これらのアイディアや夢を実践に移す楽しさも鮭や料理と一緒に楽しく味わいました。年輪塾にとっても昨晩の寄り合い酒はどうやら春一番だったようです。


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  「酒飲みつ 肴つつきつ 夢語る 酔うほど法螺は 大きくなりて」

  「飲むほどに 酒は心の 戸を開け 心根語る 春風のよう」

  「とりあえず ビールを飲んだ その後に 芋の焼酎 喉を鳴らして」

  「お茶二杯 ジョッキで飲むと 酔ったよな 気分になりて 議論中入る」

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○翠小学校のエコ改修工事ほぼ終わる

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 一昨日の地元紙愛媛新聞20面に、エコ改修の終わった翠小学校の全容が特集されました。このところ忙しくて翠小学校へは行っていませんが、愛媛県下の木造校舎では最も古いこの校舎はものの見事に蘇ったようです。何日か前に翠小学校から一通の便りが届きました。今週の日曜日(28日)にお披露目をかねて行う学習発表会の案内状でした。この日は同じ時間に今治へ講演に出かける予定なので、残念ながら出席は叶いませんが、何はともあれこの20年間、翠小学校に思いを寄せてきた一人として嬉しい限りなので、その特集新聞を、歴史の生き証人としてブログで紹介しておきたいと思います。

 私のエプソンPM-A920というプリンターでは残念ながらA版しかスキャン出来ないため、重複承知で4つに分割しての紹介となりました。「歴史ある校舎教材に」という大文字見出しに加え、リード文では「同小は1874年に開校、現在の校舎は1932年に完成した現役では県内最古の木造校舎、赤い屋根や開放廊下が特徴で、黒光りする壁板が歴史の重みを漂わせる」「木造の外観を保ったまま耐震補強や断熱化、太陽光発電設備の導入などエコ改修した」「今後一年間、発電量や教室内の温度、証明などを測定し、改修の効果を調査する」などの紹介記事がありました。

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 この学校が建築されたのは昭和7年です。私の誕生が昭和19年ですから、ちょうど一回り年数を重ねた築後77年の喜寿を迎えた計算になるのです。「こんな古臭い危険木造校舎など早く鉄筋コンクリートの校舎にして欲しい」と、地元の人も一時は見放した学校でしたが、金をかければこうも見違えるようにリフォームできるのか、さらには何の変哲もない木造校舎が人の思いを込めれば人の注目を集めるようになるのか、まさに歴史の重みだと痛感するのです。


 今ではふたみシーサイド公園とともにすっかり双海町の自慢施設となりました。20年前にホタルでまちづくりを始めた草創期を思うと隔世の感がするのです。近いうちに一度その全容をこの目で確かめたいと思っています。


  「古臭い 危険校舎の 烙印を 押され一時は 風前ともし火」

  「学校を 救ったホタル 感謝して 残す手立てを 考えないと」

  「二十三、金次郎さん 加えれば 二十四瞳 輝き放つ」

  「赤い屋根 すっかり町の シンボルに これから先も 大切守る」

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○岡山県井原市美星町星の郷青空市での講演会に招かれました

 私に講演のオファーがかかるのは、私を知っている人からの推薦、私の話を聴いた人からの依頼、新聞や雑誌インターネットからの情報による依頼などがありますが、今回岡山県美星町からの話は、昨年岡山県の農業士さんに農業士総会でお話をした折参加していた星の郷青空市株式会社取締役の竹井さんと、井笠農業普及指導センターの黒住さんが相談され、青空市の年に一度の説明会で講演をして欲しいと頼まれたのです。

 黒住さんからはメールが、竹井さんからはFAXがそれぞれ届き、講演の準備をしました。会場となるJA岡山西美星支店2階大会議室までの道順や美星町のことをインターネットで調べ、準備物を木になるカバンに入れて準備をしていました。ところがそのカバンをうっかり車に積むのを忘れるという大失態を演じてしまったのです。

 行く先も分からない不安な旅はしまなみ海道を下りてから始まりましたが、広島福山、岡山笠岡などは何度も尋ねている場所なので、カーナビの手助けを借りて何とか道に迷うこともなく美星町に着き、念願の中世夢が原も見学することが出来ました。

 会場はかなり広い大会議室でしたが、マイク施設が余り十分でないため果たして私の話が高齢者など比較的年齢の高い人の耳元や脳裏に伝わるかどうか心配しました。

 会場は何でこんなに人が集まるの?という200人近い人が集まっていました。人口5千人の町なのでこれは凄いと褒めてあげました。

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 説明会の予定もあるので、私の話は約1時間でしたが熱心な皆さんに助けられていい雰囲気の講演会となりました。ギノー味噌さんからいただいたPR用のゆずドレッシングとお味噌をさりげなく宣伝しました。特に人の嫌がる最前列に座ってくれた方々に差し上げ、大盛り上がりとなりました。

 新しく作った「裏が味噌」という私のPR名刺は今回ちょっとの差で使えませんでしたが、まあこれからも地方の村おこしや特産品開発を支援してゆきたいと思っています。

 余談ですが今回お世話になった竹井さんは59歳、私と同じように若い頃、かつて青年団活動をしていたそうで、とても好感の持てる前向きな方でした。農業後継者が始めた青空市も今では道の駅で年間40万人も集客しているそうです。この日の講演会に参加した人たちはその出荷者なのですが、その人数の多さの秘密が分かったような気がしました。


  「用意した 椅子が足らぬと 右往左往 人が集まり 時間守れて」

  「前座る 人にあんたは 偉いねえ ねぎらい言葉 添えて景品」

  「青年団 活動経験 した人は ポジティブ生きる 術を知ってる」

  「淀みなく 一時間ほど 講演す 今日も最高 満足帰る」

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○岡山県井原市美星町中世夢が原を訪ねる②

 私の町にも中世の城郭後が沢山あります。しかしその殆どは荒れるにまかせて、その存在すら分からない状態になっているのです。私が夕日でまちづくりを始めた頃、私の家の直ぐ前に聳える町のシンボル本尊山という山の城郭調査を、宇和島出身の井上日本城郭協会会長さんを招いて行いました。井上さんの話によると由並本尊城跡の石類群は一級品とのことでした。

 何度も山に分け入り矢竹を強力な草刈機で刈って中世時代の城郭のその全容が見えてきたとき、身震いするような感じがしました。早速へ山城を再現しようと絵を描き、愛媛県の夢プランに応募したところ、見事その提案に予算がつくことになったのでした。しかし町内の有識者からは「中世の城郭など造るより、もっと別な特産品などをつくってまちづくりを進めるべきだ」との寝ずよい意見があり、ついには断念せざるを得なくなったのです。

 そんな経緯を経てその後夕日によるまちづくりがある意味成功を収めたため、双海町では平成の大合併もあって、それらの話は私の記憶の中からさえ消え失せていたのです。しかし今回井原市美星町から講演のオファーがあった時、何かの本で読んだ美星町の「中世夢が原公園」のことを思い出したのです。

 昨日私のブログで「中世夢が原を訪ねる①を書きましたが、夢が原公園の中核施設は私の思い描いていた中世の城郭を見事に再現していました。物見櫓のある山城「星の丸城や城主の館は多少風化してはいましたが、中々立派なもので見応えがありました。二階構造になっている櫓の急な階段を登って上階に上がると、そこからは美星町の町並みや公園に併設している天文台、それに公園内が一望できました。

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(物見櫓)

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(詰所)

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(城主の館)

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(櫓から広場を見る)

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(櫓から美星町の町並みを見る)

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(櫓から城主の館や美星天文台を見る)

 時間があれば天文台へも立ち寄りたかったのですが、残念ながら竹井さんとの待ち合わせの時間が近づいてしまい、急いで併設している弥生時代の竪穴式住居を見学しました。何年か前無人島に茅1500束、丸太300本を運んで直径10メートルの竪穴式住居を造った経験なる私としては、竪穴式住居も興味があったのです。

 中世の城郭と竪穴式住居が同居するミスマッチは説明不足で、時代考証としては「ハテナ?」と多少首を傾げましたが、それにしてもこれだけの施設群を今後どう管理運営するのか、頭の痛い問題だけに人事とは思えませんでした。

 講演に行きながら公園を見るなんて、これまたミスマッチながらこれぞ旅の醍醐味と久しぶりに満足し、後ろ髪を惹かれる思いで迎えに来た星の郷青空市の竹井さんや普及センターの黒住さんと夢見庵というレストランで合流し、昼食を取りました。

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(高床式倉庫)
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(竪穴式住居)

  「その昔 憧れていた 施設見て 造る断念 よかったホッと」

  「公園に 弥生中世 未来など 混在してて これも楽しや」

  「抜けるよな 青空見つつ 園内を 独り占めする 平日午前」

  「本当は これが私の 夢プラン 夢が原にて 再現叶う」

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○岡山県井原市美星町中世夢が原を訪ねる①

 講演に行ったついでに周辺を訪ねる旅を心がけるようになると、事前に送られてきた資料を基に色々思いを巡らせるのですが、今回は事前の資料もなく、ましてや講演依頼の文書を入れた木になるカバンを忘れて出かけたため、はてさて「私の行く所はどこでしょう」といいたくなるような旅でした。しかし何かの資料で合併前の美星町といえば「中世夢が原」や「天文台」という記憶があったので、少し早めに到着してそこら辺を散策したいと思い出かけました。

 しまなみ海道を通って国道2号線を笠岡まで走り、そこからは山道を走りました。やがて急な峠に差し掛かると、九十九折の道の下には深い渓谷が見えてきました。難儀難儀登る大型トラックの後ろについたために、ノロノロ運転で坂を上がると広い広い盆地に出てきました。確かに美星という地名が示すとおり星がきれいな町だろうなあと創造しながら走り、とりあえずカーナビが目的地にしていた道の駅星の里へ到着しました。

 この日の講演会の主催者である星の里青空市はこの日は定休日だそうで、人の気配を感じることは出来ませんでした。

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(星の郷青空市)
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 トイレ休憩の後、看板表示にしたがって中世夢が原という公園へ出かけました。広い駐車場に車を止め500円の入場料を払って公園内に入りましたが、平日の午前中とあって入場者は私一人でした。園内は広くなだらかなスロープの道沿いにかやぶき屋根の辻堂や民家が沢山ありました。パンフレットを見ながら散策しましたが、聞きしに勝る広さと規模を誇っていました。しかし整備後20年近くが経つとさすがに施設の各所も老朽化が目立っているようです。4年前に合併したためこうしたアカデミックな施設はその後の補修も思うに任せないのが実情のようでした。

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(公園の入り口)

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(公園の見取り図)

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(かやぶき屋根の茶堂)

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(復元された民家)
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(中世の町並み)はまるでタイムスリップしたような雰囲気でした)

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(復元された見事の屋敷)

 公園の中ほどに三斎市という中世の町並みがありました。掘っ立て小屋のような造りの店が時代考証どおり再現されているのです。広場の隅では焚き火をしていて、管理をしている女性としばし談笑しました。開業以来ここの管理運営をやっているというだけあって、酸いも甘いも分かっていて、お茶をサービスしてもらい色々な話に花が咲きました。
 ここは2004年5月、東宝映画「あずみ2」のロケ地であり、2002年10月~2003年3月NHK大河ドラマ武蔵野ロケ地でもあります。また最近では「坂の上の雲」のロケ地として地元の人もエキストラで出演しているそうですが、経営は中々厳しいようでした。


  「噂しか 聞いてはいない 夢が原 この目この足 確かめたくて」

  「中世の 街や建物 造れども 客の好みは 向こうの星空」

  「まあどうぞ 差し出すお茶を すすりつつ 苦労話に 耳を傾け」

  「またとない 日より恵まれ のんびりと 半日過ごす 見知らぬ土地で」

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○ギノー味噌の広告名刺は裏が味噌です

 3ヶ月ほど前の昨年の暮れ、年輪塾の役員が集まり行きつけの居酒屋で作戦会議を開きました。呑み助の集まりは他愛のない話が多いのですが、この作戦会議は中々のもので、色々なアイディアが提案されるのです。その時名刺の裏を使って何か出来ないか話しました。というのも一昨年私が使っている名刺の裏側に全国大会の実行委員長という肩書きを印刷して、全国への旅のつれづれに辺りかまわず配って歩いたのです。そのことが少しは効果があったのか、県庁所在地以外の場所宇和島市で開いた全国大会は予想以上の効果を挙げ、大成功を収めました。

 私は現職中は一ヶ月に600枚もの名刺を使っていましたが、リタイアした今はさすがにそれほどの名刺は使っていませんが、それでも年間千枚程度の名刺を使っているのです。名刺に自分のイラスト似顔絵を入れて作った時、「この名刺を一枚50円で売ろう」とよからぬ妙案を思いつきました。しかし結果はまとめて100枚(一箱)を5千円で買ってくれた粋な会社の社長さんがいたのと、全国大会の名刺を全額負担で印刷してくれた実行委員会以外はこれといった成果が上がらなかったのです。

 それでも諦めることなくその夢を捨て切れませんでした。

 作戦会議と称した呑み会でこの話をしていると、みんながワイワイガヤガヤアイディアを出し始め、ついには名刺を広告に使うとというアイディアを思い立ちました。早速かまど開きの事業に一枚かんでくれたギノー味噌の田中社長に相談を持ちかけたところ太っ腹な社長からOKが出て、世にも不思議な広告名刺作りが始まりました。

 会社からの提案を基に清水塾頭のデザイン協力を得て、何度か打ち合わせをするうちにいい名刺の原案が出来ました。早速今治の村上太さんに印刷を発注し、昨日外出先から家に帰ってみると、立派な名刺が10箱宅配便で届いていました。

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 表の私のイラスト名刺はいつものと変わらないのですが、裏には「裏が味噌」とまるで人を食ったハッとするような文句を入れました。また義農作兵衛を顕彰する義農魂(ギノースピリット)も入れました。最近はギノー味噌のドレッシングや味噌のサンプルを持ち歩いて、地産地消を提唱していますが、ギノー味噌さんは今年の春に本社工場が完成し、小ロットでの地産ドレッシングの製造が可能になったこともあって、私のお手伝いができるかもしれないのです。これらのサンプルとPR名刺を組み合わせると、ひょっとしたらひょっとするかもしれないのです。

 先日九州佐賀で開かれた全国大会にも、重いサンプルを持参してドレッシングの売込みを図りましたが、女山大根のドレッシングを作る話に多久市長さんと楽しいお話をして帰りました。

さて、作戦会議で話題になったPR名刺は、明日夜居酒屋で開かれる予定の作戦会議で、メンバーからどんな評価が下されるでしょうか。楽しみです。


  「裏が味噌 こんな名刺を 持ち歩き 広告宣伝 中々やります」

  「三人が 寄れば文殊の 知恵浮かぶ 名刺千枚 全国配る」

  「面白き こともなき世を 面白く アイディア次第 実に楽しい」

  「また一つ 語る言葉が 増えてきた 名刺一枚 10分語る」

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