shin-1さんの日記

○講演に持って行くのを忘れたカバン

 今日は広島県と岡山県の県境に位置する岡山県井原市美星町へ出かけるために朝早く家を出ました。夜討ち朝駆けは慣れているので私自身は別に変わったことはないのですが、私が出発するとなると妻は緊張して中中寝つかれないようでした。遅れてはならないと目覚まし時計を2つも枕元にセットして寝るのです。私はやはり歳のせいでしょうか余程のことがない限り、目覚まし時計が鳴る前に予定した時間には必ずおきるような習慣がついているため、今朝も4時30分には目が覚めました。

 急いで出発の身支度を整えました。旅に出るとき忘れてはいけないものは「はとがまめくてぱーぱー」と覚えていて、ハンカチ、腕時計、携帯電話、財布、免許証、カバンなどを手で押さえて確認をするのです。

 このところ、私の友人のギナー味噌の田中社長さんとの約束もあって、ドレッシングや麦味噌など、ギノー味噌が作った商品を持ち歩いているため、けさはそのことが気になって、車に積み込みました。妻は早立ちの私のために魔法瓶に厚いお太yを沸かして入れ、朝食の代用としてリンゴを2個川を剥いでタッパに入れ保冷剤とともにバッグに入れてくれるのです。

 「行ってくる。帰りは遅い」などと短めの言葉をかけて、明けやらぬ道を自家用車で出発しました。今治北インターからしまなみ海道に乗り、因島の大浜パーキングでトイレ休憩をしました。「そうだもうそろそろ、美星の目的地をカーナビに入力しようと後部座席の上のカバンに手を伸ばしました。ところが積んであるはずの木になるカバンが何処を探しても見当たらないのです。もしやと後ろのトランクを開けて見ましたが残念ながらカバンは発見できませんでした。そして「しまった忘れた」と思うととっさに、私の顔から血の気が引くのを覚えました。直ぐにわが家へ電話をすると案の定私のカバンは自宅の玄関先に置き忘れているというのです。


 私も血の気が引きましたが、妻はもっと血の気が引いたらしく、果たしてカバン無しで講演ができるのか心配の様子が電話の向こうから伝わってきました。私は妻に携帯電話で講演依頼文書に書かれている、日時と会場、それに相手の電話番号を聞いてメモを取りました。そして資料にまったく頼らないで講演するイメージを思い浮かべました。妻からすればそんなこと考えられないのです。

 まあこれも長年人の前で話をしてきた成果なのです。幸いなことに今日に限って名刺と免許証はスーツの内ポケットに、また電光掲示板はズボンのポケットにありました。また高速道路通行料金もETC対応なので銀行引き落としなので助かりました。今後はこのようなことが二度とないようにしたいと妻ともども反省させられました。


  「あるはずの バッグがないと 大騒ぎ 忘れてしまい 少し慌てて」

  「俺も歳 カバン忘れて 手ぶら旅 認知いよいよ 妻に言われる」

  「慌てずに 対応するから 偉いねえ 妻に褒められ どこかこそばい」

  「いいじゃない 忘れたことを 忘れずに 思い出すから 少し取り得が」 

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○国立大洲青少年交流の家の運営委員会に出席しました

 国立大洲青少年交流の家は、30数年前私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた頃、青年の家として誘致に奔走した懐かしい思い出のある施設です。その時お世話になった村上清吉元大洲市長さんも既に亡くなって、北只の地に頌徳碑が建っていますが、当時の坂田道太文部大臣を招いて肱川を見下ろす現在の土地で説明したことが懐かしく思い出されるのです。

 ゆえに大洲青少年交流の家のことは何かと気がかりで、今でも折にふれ出かけては要らぬお世話をやいているのです。

 昨日は現大洲市長さんや、県下各地の関係する代表の方、それに県外からも委員の皆さんが集まり、2時間余り議論を交わしました。はからずも依頼されて議長を務め議論を深めました。

 何年か前までは、会計検査院の指摘などを元にどうすればいい体験プログラムを利用者に提供できるか、知恵を出すことに主眼が置かれていましたが、数年前に国立といいながら青少年交流機構の傘下になってからはどうしたら利用率を高まることが出来るか、数値目標などが示され経営評価に主眼が置かれているようでした。今年からは政権交代もあって事業仕分けの矢面に立たされ、施設存続の基本である「何のために、何をしなければならないか」という、施設の存在そのものを考えさせられる議論となりました。

 今年のテーマは受益者負担のあり方とナショナルセンターとしてのあり方の二つが大きな議論のテーマになりました。施設を利用する利用者はこれまでにも食事代とシーツの洗濯代が徴収されていましたが、来年度からは講師の指導を受けた場合講師料を負担してもらうというのです。藪から棒の発想に私たちのような運営委員は戸惑わないものの、利用者にはまだそのことは知らされておらず、はてさてどういう反響があるものか、按ずるよりかそれとも拒否反応があるのか、少し心配をしています。

 またナショナルセンターとしての役割をといいつつ、事業予算と指導人数を切り詰められようとしている現状では、中々難しい感じを持ちました。思うにマニフェストや事業仕分けなど政治家の思いつきで、教育や福祉の大切な部分がまるでトカゲの尻尾切りのようなやり方をされたのでは、第一線で働く人たちはたまったものではないのです。

 文句を言ってやりたい憤りを感じますが、声なき声に等しい私たちの声は闇に葬り去られることでしょう。一方では政治家の金の問題はなおざりにし、また経済破綻したギリシャと同じように、経済破綻しながら大盤振る舞いの借金予算を組み国民のご機嫌を取って国債を乱発する今の政治には、一国民としてどうしても納得できないのです。

 帰り際分かれた青少年交流の家の所長さんの白髪がこの一年間でめっきり増えたような気がしました。多分国や政治に翻弄されながら苦悩の運営を強いられているための白髪だろうと思いつつ、「頑張って下さい」と声をかけて青少年交流の家を後にしました。


  「この施設 若かりし頃 誘致した ゆえに責任 感じながらも」

  「そういえば 所長の頭 白髪増え 苦労ありあり 同情しつつ」

  「人と金 少なく減らし 頑張れと 言われてみても 力限界」

  「この施設 日本の未来 背負う子を 育てるゆえに もっと支援を」

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○二日ぶりに日本一の夕日に会えました

 松山観光港に姑息船が着いたのは5時頃でした。さっきまで高かった太陽が西に傾き夕暮れ間近を思わせていましたが、ひょっとしたら間に合うかも知れないと、出来るだけ近道を通って車を走らせ家路を急ぎました。高浜から空港通り、垣生、松前から伊予と走るにつれて夕日は益々西に傾き、あるいは間に合わないかも知れないと少々不安になってきました。こんな時に限って前を走る車がノロノロで少しイライラしました。

 三秋の峠を下ると懐かしいわがふるさとの海が見え、夕日が水平線近くに降りていました。高野川の空き地に車を止め、急いでデジカメを取り出しました。既に何台かの車が止まっていて乗客が夕日を見ながらデジカメや携帯電話で盛んにシャッターを押していました。

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 夕日馬鹿を自認する私としてはチャンスだと思って、思い切って海岸線まで降りて見ました。いやあ素晴らしい夕景でした。山陰も山陽もまた瀬戸内の島々もそれぞれの趣がありましたが、双海の夕日はやはり日本一だと確信しましたが、多少疲れていたのか、はたまた興奮でそのことに気がつかなかったのか、写っている写真の殆どが、水平線が多少ゆがんでいるのです。写真は本来水平線を画面の上下と同じ水平に写さなければド素人の烙印を押されてしまいます。今日の私の写真の出来栄えはまさに度素人の域を脱していませんので悪しからずご了承の上ご鑑賞下さい。

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 夕日に続く金色の道がやがて薄くなり、夕日も輝きを失って西の水平線に沈んだので我に返って車まで戻りました。そこへ妻から電話で「お父さん今何処?」でした。「高野川まで帰って夕日を見ている。今日の夕日は素晴らしかった」と言うと、「えっもう双海?」でした。それもそのはず、「今日はひょっとしたら遅くなるかも知れない」と言っていたのです。

 自宅へ帰り着替えて食事をしながらデジカメに写った写真を見せながら優位を自慢すると、「お父さんも相変わらず夕日のことになるとまるで気違いになるのね」と、二日ぶりの帰郷で家のことを心配するのかと思いきや、夕日を自慢する私の姿を呆れ返っていました。


  「急ぎ足 帰って沈む 夕日見る 何処か癒され 疲れ忘れて」

  「綺麗かろう 妻に自慢の 夕日見せ 馬鹿さ加減を お互い笑う」

  「日本一 褒めてやりたい 気分なる 夕日を前に しみじみ思う」

  「どれ程の 夕日を見たか 知らねども やはり一番 双海の夕日」

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○島根県益田から峠を越えて家路へ

 「日本海の魚も美味しいので、回転寿司で寿司でも食べますか」という塩満さんの言葉に誘われて、JR益田駅近くの回転寿司の店へ立ち寄りました。お昼だというのに日曜日のためか、また塩満さんのいうとおり、地元で人気の美味しい店だからか、店内は既に満員の盛況でした。案内されてカウンターに座り、湯飲みにお茶の袋を入れて蛇口からお湯を並々と注ぎました。さっきまで本俣賀自治会主催の講演会で90分間も熱弁をふるっていたせいか、喉がかれていたのです。

 お茶をすすってやっと落ち着いたところで目の前を素通りする寿司の中から好みに合った新鮮な鯵の寿司を取りまず食べましたが、日本海の海の幸が口いっぱいに広がり、思わず「美味しいですね」と横に座った塩満さんに相槌を打ちました。続いて珍しい高菜の寿司をほおばると、これまた春の匂いがしてきました。

 寿司を食べながら様々な話をしましたが、お昼のことゆえ思った程食は進まず二人とも5皿程度積み上げただけで塩満さんが清算し店を出ました。

 

 島根県益田市の寿司店を「今から出ます」と連絡して、昨日の午後の会場となった美都町ふれあいホールの前で待ち合わせた真砂自治センター長大庭さんと落ち合い、昨日来た国道191号を走り島根県と広島県の県境を越えました。昨日は珍しそうに眺めた雪に埋まった峠の道も個の二日間の好天ですっかり雪解けしていました。それでも個のシーズン最後のスキーを楽しもういうスキー客の車が沢山通り過ぎて行きました。

 「雪道なので少し余裕を持って走りましょう」と塩満さんが言っていましたが、広島までの交通は全て順調に走ったものの、広島の入り口付近はやはりスキー客の帰りの車で混雑していましたが、それでも予定していた午後3時30分の高速船の出発時刻より30分も早く到着しました。

 山陰の雪をかぶった山々と同じ中国地方なのに、瀬戸内に面した山陽は穏やかで、まさに春を思わせるような陽気で、カートを着て降り立つと少し汗ばむような感じさえしました。遠路二日間にわたって送迎してもらった塩満さんと大庭さんに感謝しながら再開を約束して別れました。

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(島を結ぶフェリーや高速船が発着する広島宇品の港)

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(私が乗船した広島と松山を結ぶ高速双胴船)

 私は65歳の高齢者になっていて、切符売り場の一覧表に目をやると「高齢者2割引」という項目が目に付きました。切符を売るカウンターのおばさんに「私は高齢者のですが」と申告すると、見た目は若い私の容姿を見渡し怪訝そうに「証明するものがありますか」と尋ねられました。背広のうちポケットから免許証を取り出し「はい昭和19年生まれです」と見せると、「灰結構です。失礼しました」と2割差し引いたきっぷを渡してくれました。この航路は船に乗っている時間が僅か1時間余りなのに6千9百円とまるで新幹線並みの金額です、いつも高いと感じていましたが、2割引だと5千5百20円なので嬉しい割引でした。しかしシルバー割引を喜ぶべきか否か複雑な心境になりました。

 昨日の瀬戸内海は波もなく穏やかで、まるで「春の海」といった陽気に包まれ、窓越しに見えては消える島々も長閑なたたずまいを見せていました。途中寄航した呉では大和ミュージアムの見学者が沢山乗り込み、賑やかな酒盛りが始まっていました。

  「日本も 広いもんだと 納得す 雪の山陰 越えて山陽」

  「往復を 送迎してまで くれた友 感謝感激 しつつ分かれる」

  「美味いもの 食べ過ぎたのか 旅先で まるで大名 気分になりて」

  「団体が 乗り込み船内 賑やかに 聞けば大和を 見たと大声」  

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○第4の波と第5の波が押し寄せる

 昨晩は何度か行ったことのある島根県益田市真砂地区の公民館にお邪魔しました。昨晩の講演会のテーマは学校統廃合の問題です。私にも地域の人にも少し難解なテーマでしたが、まず私が1時間ばかりこの問題についてお話をしました。

 私の講演の内容は・第4の波が押し寄せる、・捩れた時代の下降線シナリオ、・子どもを取り巻く社会、・私の考える寺子屋構想などでした。

 ・第4の波が押し寄せるでは①始めの波は国鉄の民営化(公共交通の時代から車社会への変化)、②第1の波は農協のの合併(第一次産業から第二次産業へ産業構造の変化)、③第2の波は市町村の合併(人口減少や高齢化による行政サービスの変化)、④第3の波は郵便局の民営化(物流や情報の変化による公共サービスの変化)、⑤第4の波は学校の統廃合(少子化による社会構造の変化)、⑥第5の波は集落の統廃合(限界集落の増加によるコミュニテイの変化)についてまず経緯を話しました。


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 ・捩れた時代の下降線シナリオ

 ①公共の足が奪われる

 ②農業で飯が食えなくなる

 ③行政サービスが遠のく

 ④金融の撤退でお金が引き出せない

 ⑤学校がなくなる

 ⑥お寺が無住化する、買い物が出来なくなる

 ⑦限界集落が増加し自治活動が出来なくなる

 ・子どもを取り巻く社会

 ①文部科学省と教育委員会の存在(無策すぎる国や市町村の教育方針・場渡り的施策・教育委員会の独自  

  性)

 ②地域社会の変化(危険な社会。乱れた社会・モラル低下の社会)

 ③学習塾依存の教育8成績至上主義・競争相手)

 ④学校の変化(生きる力のない教師・門を閉ざした学校・子ども管理)

 ⑤PTAの変化(学校との対立構図・役員になり手がない・集団でない個の集まり)

 ⑥習い事(スターを夢見る親子・塾・金をかける)

 ⑦子ども会(少子化で皆無・地域での上下関係・遊びの想像がない)

 ⑧家庭の変化(感動がなくなった・テレビの征服・茶の間と仏壇)

 さてここでは私の考える地域の寺子屋構想については、少しの間伏せておきたいと思いますが、私の講演の後参加した皆さんとかなり突っ込んだ討論を行いました。参加した人の中には熱心だったり持論を持ったしっかりした人たちがかなりいて、嬉しい議論が出来たように思いました。

  「統廃合 しないと子ども 駄目になる 何で?と聞けど 答え返らず」

  「納得を してないけれど 仕方ない 諦め空気 何処か漂う」

  「一方で 子育て大事 言うけれど トカゲの尻尾 切られて悲し」

  「合併の 次に学校 その次は 津波押し寄せ 捩れて消える」

 

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○お早うございます

 今朝は島根県益田駅前のホテルで目を覚ましました。旅先とは言いながらやはり早起きの癖は直らず、朝4時に目が覚めました。そこでホテルの3階にある大浴場へ行き朝風呂を楽しみました。自宅にいるときも殆ど毎日朝風呂を欠かさない私にとってホテルの大浴場は、まるで貸切風呂のようなもので、大浴槽の中をゆったりと歩き、また腰痛体操をやりました。一番風呂を楽しみにやってきた別の客さんと会話しながら髭をそったりしました。

 この日輝の脱衣場にはマッサージ器があって、無料で使えるのです。このところ夜の会合が遅く少々肩こり気味だったのでゆっくりとマッサージをしました。湯上りに冷水を飲むと「さあ今日も頑張ろう」という何か不思議なパワーを感じました。

 10階の自室に上がり、部屋の前に配られた山陰新聞をくまなく読み、テレビをつけました。バンクーバーオリンピックの模様やニュース番組を見て過ごしていると外が明るくなってきました。やがて東の空が明るくなり、ホテルの窓から神々しい朝日を拝む事が出来ました。

 2階で食事を取りました。最近のホテルはバイキング形式で、私は体調を整えるため日ごろ食べているキャベツと朝粥をメインにして味噌汁や納豆、それに牛乳を一杯用意して止まり木のようなカウンター席に陣取り、ロビーで借りた朝日新聞を読みながら朝食を食べました。また野菜ジュースとヨーグルトを追加して健康食の朝食を終えたのです。


 昨日は午後2時から講演と午後3時過ぎから対話集会、そして夜は真砂という地区で学校統廃合についての講演と討論を行い、ホテルへ帰ったのは午後9時過ぎでした。今日は午前10時30分からもう一つの講演が予定されています。まもなく迎えの車がホテルに到着する予定です。このブログの記事は宿泊名所のグリーンモーリスというホテルのロビーにおいているインターネットを使って書いています。

 たった一泊二日の講演旅行ながら3会場での話とは、かなり人使いが荒いようですが(笑い)これも仲間が仕組んでくれた綿密なスケジュールなので、どの会場もしっかりと性根をすえて話したし今日もいい仕事をしたいと思っています。

 幸せなことにこの二日間、迎えに来てもらった車での広島県と島根県の県境は残雪をかき分けるような難儀でしたが、山陰地方独特の荒れた天気に出くわす事も無く、いい天気のままで帰れそうです。

 さあ今日も頑張りましょう。


  「久方の 島根の西の 益田街 駅前どこか お洒落変身」

  「人使い 荒い仲間の スケジュール 講演三つ 何とかこなす」

  「ダブルだと いうのにベッド 一人寝で 妻の温もり 恋しく眠る」

  「ホテル窓 差し込む朝日 拝みつつ 沈む頃には 我が家に着くか?」

  


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○島根県の天気はどうでしょうか。季節柄中国山地の峠を越えるため、雪がちょっと心配です。

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○明日は島根県朝早く益田市へ出かけます。明日一泊して日曜日の夕方帰ります。

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○見せかけの金持ち

 わが家は660坪の敷地に本宅と隠居を合わせると、田舎ゆえ大きな家に住んでいます。そしてその家を囲むように濃紺の土塀が長く続いて、外から見れば「お屋敷」って感じがするのです。したがって誰もが「お金持ち」だと思っているのです。

 子どもが小さい頃長男が学校から帰ってきて、「お父さん、僕とこお金持ちなん?、それとも貧乏人なん?」とやぶから棒に聞くのです。聞けば友達が「お前とこは大きなお屋敷に住んでいるから金持ちだろう」と言うのだそうです。ところが自分の暮らしの実感としては質素な暮らしをしていて、貧乏だと思っていたのです。当然と思えば当然のこの質問に私は戸惑いましたが、すかさず息子が「お父さん、うちは貧乏人よなあ、だって友達の家のチャイムはピンポンピンポンと鳴るのに、うちのチャイムはビンボービンボーと鳴る」と駄洒落を言って家中が大笑いをした経験があるのです。

 確かにわが家は傍目から見ればお金持ちに見えるのです。しかし内情は火の車で、当時は家を建てる銀行ローンを組んだため、私の安月給に翻弄され妻は相当家計のやりくりに苦労をしたようです。したがって子どもの目には食べるものも自家製のものが多く、当然欲しいものも買ってもらえず、家族みんなが貧乏共有の時代だったのです。

 その中で忘れれられないのは薪で沸かす風呂です。私は当時公民館に勤めていて、土日も自由時間も殆どない仕事をしていました。したがって子どもたちと遊ぶ暇などなかったのです。その中で風呂を沸かすための薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは子どもの仕事と位置づけていました。最初は面白がってやっていた巻き割りも子どもたちのとっては「何でこんなしんどい仕事を子どもが」となるのです。それでもこの薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは大きくなった子どもたちには思い出となって残っており、今でもみんなが集まるとその話に花が咲くのです。今で言うエコライフな薪での暮らしは相当安価で、エネルギー代の節約をし、家計は大助かりでした。今は懐かしい薪ボイラーも薪の調達が難しくなり、2年前に灯油ボイラーに替えました。

 家は築後30年以上が経って古くなりましたが、見せかけは今でもお金持ちのような家に住んでいます。しかし5年前にリタイアして家は再び質素な暮らしに逆戻りしました。でも3年前から年金も支給され、それなりに暮らしていますが、妻のやりくりは相変わらず続いているようです。

 でも私にはお金や資産こそないものの、心は大いに豊かです。気心知れた仲間が沢山いて、いつも賑やかに活動しています。また家族揃って健康にも恵まれ、今年92歳になる親父もまだ自転車に乗るほど元気です。銀行ローンはとっくに繰り上げ償還して借金は多分ゼロです。間もなく長男家族と同居するため家の増改築リフォームをしなければなりませんが、その程度の臨時出費は私の時代の最後の大仕事として、何とかなりそうです。

 今も私の頭の中に息子が私に質問した、「お父さん、うちは金持ちなの?、それとも貧乏人なの?」という問いかけがこびりついているようです。


  「お父さん うちは金持ち 貧乏人? 言われた言葉 今も頭に」

  「見せかけは 金持ちのよう 見えるけど いたって貧乏 だけれど豊か」

  「薪割りや お風呂を沸かす 苦労して 育った子ども 今は懐かし」

  「ピンポンが ビンボー聞こえる わがチャイム 息子よ偉い 座布団二枚」

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