shin-1さんの日記

○考える村村長のブログは面白い

 考える村の村長こと玉井恭介さんは私の大先輩です。宇和島水産高校漁業科を卒業しているため、初代の愛媛丸に乗った経験があるため、何かと気が合って何度となく出会い、色々な感化を受けてきました。私たちの学校のとりわけ漁業科卒業生は、同窓生の殆どが海人と呼ばれて船に乗るため、卒業後40数年経っていますが、殆ど交流することもなく、ましてや同窓会などしたこともないのです。時折先輩や後輩に会っても、もう昔のことなので名前と顔が一致しないのです。そんな中で玉井さんとはあるモーニングセミナーで出会いました。その後急速に交流が深まり今日に至っているのです。

 玉井さんは広告会社に勤務して定年で退社しましたが、在職中から多芸でコーラスをやったり詩を書いたり、時には玄人はだしの絵を描くのです。本人はいたって謙虚ですが、私のような無芸人から見れば何ともうらやましい限りの多芸ぶりなのです。そんなこともあって玉井さんの勧めもあって、「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本をアトラス出版から出した折も、編集について大変お世話になりいい本ができたのです。


 1ヶ月ほど前に私の影響でもありませがブログを始めたいと連絡がありました。文章は私など足元にも及ばない人なので期待をしていましたら、このほど「考える村・孫長のブログ」というタイトルでブログ発信をするようになりました。毎回ブログにアクセスして読ませてもらっていますが、実に面白い文章で、私は新しい文章が載る度に妻に読んで聞かせてやるのです。妻も時々やってくる玉井さんのことはよく知っていて、二人が思わず大笑いをしてしまうのです。ここで玉井さんのブログの原稿を私が紹介するよりも、直接アクセスして読んでもらった方がいいので敢えて書きません。ちなみにバックナンバーでテーマを見ると、趣味は散歩、賞味期限の切れた亭主、女性に囲まれ働く、明るい遺言ノート、孫長の不況対策、ヨイトマケの唄、ひもじい毎日、捨てられない物、企画道楽、退職後のイロハと続いています。3月29日付の退職後のイロハでは、私のブログを基に面白い記事に仕上げているのです。


 私の書斎には、玉井さんから貰った一枚の小さな額が飾られています。

 「・・・・・のぼってゆく。坂の上の青い点に一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂を上っていくであろう。」     司馬遼太郎   「坂の上の雲」より

 この額は私の公務員生活の晩年を好夢員にしてくれました。お陰さまでいい仕事ができて軟着陸のリタイアができたし、今も白い雲を追い求めて生きているのです。

 私と玉井さんの出会いはそんなに長いものではなく、むしろたの友人からすると短い方です。でも人間には百回会っても一家しか会わないような人もいるし、一回の出会いでも百回の出会いのような人もいるのです。玉井さんはもちろん後者で、私の貴重な友人なのです。

 昨日は玉井さんからメールが入りました。私がこの度えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を降りたことを惜しむ文章でした。私を灯台に見立てて持ち上げてくれていました。有難いメールを私は今日のブログとともにプリントアウトして大事に保存したいと思っています。

  「考える 村の村長 名前つけ 考えること 確かにおもろい」

  「水産高 故に先輩 少ないが 唯一俺に 感化さす人」

  「なるほどと よそいき脱いだ 文章に 感心しつつ 見習うつもり」

  「読み聞かせ 思わず笑う 妻ありて 食卓いつも 話題なる人」   

  

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shin-1さんの日記

○果てしなく生え続ける雑草との戦いは続く

 わが家は田舎の家らしく敷地が660坪と、都会の人がうらやむほどの広さを有しています。他所から来た人たちはこの家庭菜園や果樹園付きの敷地を見て、羨ましがるのです。確かに狭いより広いに越したことはありませんが、広いと悩みも大きいのです。まず固定資産税がかかります。敷地を宅地と農地に分けているものの宅地並み課税と思われるほど税金がかかるのです。私たち夫婦が若くて安月給のころ、妻は役場に勤める私に内緒で「税金が高いのでは?」と役場税務課長に相談に行ったそうです。冬至の税務課長は「分相応な場所に住めばいいのに、分相応以上の場所に住んでいるのですから仕方がありません」と軽くあしらったそうです(笑い)。

 さらに広くて困るのは草が生えることです。草は春から夏にかけてが一番旺盛です。私たちが住んでいる四国愛媛では暖地のため3月の初めにはもう寒風をついて雑草が伸び始めます。4月の声を聞くともう伸び放題になるのです。91歳を超えた親父の日課は草との戦いなのです。祖母が亡くなってからは毎日毎日、来る日も来る日も草を引いたり削ったりする作業に汗を流しています。

 祖母が存命中、「家の周りの草を引きながら一周すると、最初に引いた場所にはまた新たな草が生えている」と嘆いていましたが、親父もまたそれに似た話を時々人にしているようです。

 本当は家の周りに除草剤でもまいたらいいのでしょうが、除草剤は体に悪いと聞いているので今のところは除草剤をまかず人力除草に頼っているのです。親父の話によると「歳をとったのでもう限界」と、時々弱音を吐きます。親父の姿を見て私もそう思いますが、いよいよ除草の仕事が私に回ってくるひも近くなったと実感しています。私には4年前から人間牧場の草刈りという年に4~5回の仕事があるので、家の除草を加える余裕は今のところないのです。私の場合多分これから10年くらいはまだ体力的に人間牧場の草刈りは大丈夫なのでしょうが、それ以降は規模縮小をしなければ追いつかないと、親父が私に話すように、私も息子に話をしているのです。

 この数日私は草削りの鍬を持って庭のあちこちの草を削っています。親父から見ればほんのままごとのような言い訳程度の草削りなので、親父の手助けどころか、削った草の処分まで親父が後始末しなければならず、結局はあまり役立っていないようです。

 先日わが家を訪ねた奥東のおばちゃんたちが、家の周囲の草の生えてないのに気づいて、「草野手入れが行き届いていて凄い」と褒めてくれました。奥東のおばちゃんたちは農家なので、わが家と同じような広い敷地を持っているようで、同じように草が生えて困ると嘆いていました。おばちゃんたちは間に合わないから除草剤を使うのだそうですが、それでも草は生えてくるとこぼしていました。

 昨日は大学での仕事を終えて午後4時過ぎに帰ってきました。妻が仕事に出ていて留守なので作業着に着替えて鍬を持って畑に出ました。そして夏みかんの園地内で草削りを少しだけしました。僅か1時間程度の作業でしたが、親父は大層喜んでくれました。

 草削りをすると日ごろ使わない腕の筋肉を使うため体力作りになったのでしょうか、小腹が空いて昨日の夕食は殊の外美味しくいただきました。今日は私の春休みです。お弁当を持って人間牧場へ作業に出かける予定です。


  「植えぬのに 肥料もやらぬ 雑草は どうしてこうも 毎年豊作」

  「雑草の ようになりたや 逞しく 踏まれけずられ それでも生える」

  「おばちゃんが 及第点を つけた庭 親父の苦労 少し報われ」

  「春が来た 喜びばかり 言うけれど 草引く者は 気持ち重たく」

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