shin-1さんの日記

○久しぶりに煙会所へお客様

 この30年、私のホームグランドとなっていた私設公民館煙会所は、人間牧場の開設とともに軸足がそちらの方に移ったため、ごく親しい人の寄り合にしか使わなくなっていました。使わなくなったというよりリクエストがあってもお断りをしているというのが正しい表現かもしれないのです。そんな訳で多少埃をかぶっているような感じがしていました。昨年の秋地元奥東のおばちゃんたちが人間牧場へやってきた折、「次回は煙会所で夕日徒然草・水の書に書かれた落語を聞きたい」という約束があったので、今日は朝から煙会所の掃除を一人でやりました。囲炉裏の部屋の畳を雑巾がけしたり、トイレの掃除をしたりしながら「施設というのは人間が使わなければ駄目だなあ」と思いつつ掃除をしたのです。昨日2時間、今日2時間の掃除ですっかりきれいになりました。本当は障子の張り替えをしたかったのですが間に合わず、一個所小さな破れが気になるものの座布団を出したり、囲炉裏に炭火を入れ、すっかりお客さんをもてなす準備が終わったのです。

若松進一ブログ

 昨晩妻と最初の日程が奥東の都合で変更になったため、23日だったか24日だったか記憶が分かれました。私は24日が23日、妻は23日が24日と記憶しているのです。こんな場合案外私の聞き間違いが多いのですが、今回は私のメモに軍配が上がったようでした。妻は昨日孫を送って行って帰りが遅かったため少し疲れ気味の様子でしたが、午後8時過ぎになって台所で何やらゴソゴソしているのです。聞くと来る予定の8人のおばちゃんのために、天草を使ったフルーツゼリーを作っているのです。私は疲れているからいいと言いましたが、妻は「そんなこと言ったって」と手早く作るのです。最後の布巾袋で天草を漉す作業は一人でできないので手助けをしました。オレンジジュースや砂糖を入れ、そしてパイナップルやアップルの缶詰に加え、はるみというみかんを3個むいで薄皮を丁寧に取り、広い4つのタッパーに流し込みました。

 妻は手慣れていて簡単そうに見えますがこれは中々のもので、夜寝る頃に冷めたゼリーを冷蔵庫の中へ入れて一晩寝かせると、美味しいフルーツゼリーが出来上がるのです。

若松進一ブログ

 おばちゃんたちは約束の10時に2台の車に分乗してやって来ました。おばちゃんは全員子供のころから顔見知りの人なので、別に気兼ねなく海の資料館海舟館や私設公民館煙会所などを見学してもらいました。同じ町内に住みながら私の家に来たのは初めての方ばかりでした。そのうち煙会所に上がってお茶を飲みながら囲炉裏を囲み雑談に耽りました。

 この日のおばちゃんたちの目的は夕日徒然草・水の書の落伍を聞きたいのです。人数分高座本を用意してお話を始めました。今日は福祉施設に入った身近な人たちの話が出たものですから、早速高齢化問題を取り上げ、手身近に4~5話話をさせてもらいました。どなた様も加齢が次第に進み、他人事でない話は大いに盛り上が、あっという間に2時間が過ぎてしまいました。「春が来たことを手放しでよろこべない年代になった」と少しさみしげに話すおばちゃんたちは、また会う約束をしてわが家を後にしました。

  「また来たよ また来たかいと 挨拶し 囲炉裏囲んで 楽し談笑」

  「春が来た またひとつ歳 重ねると 笑いながらも どこか寂しく」

  「座椅子持ち わが家訪ねる 高齢者 座ることすら 苦痛ゆがめて」

  「久し振り 笑顔楽しき 時過ごす 笑うことなど 忘れていたな」

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shin-1さんの日記

○日本人の暮らしには旧暦が一番

 毎朝台所に吊るしてある日めぐりカレンダーを、一枚一枚破り取る度に日々の過ぎて行く速さに驚き、「歳をとると一日があっという間に過ぎて、今日は3月も下旬か」なんて会話を妻と毎日のように交わしているのです。破った昨日の3月22日という一枚はもう永久に帰って来ないのですが、破り捨てようとしたハガキ一枚ほどの紙は、日曜日だったゆえ真っ赤な字で書かれ、沢山の言葉に交じって旧暦で2月26日と記されていました。

 私たちの暮らしは殆どが新暦で回っています。何をするにも新暦なのですが、農業や漁業に縁の深い私たちの地方では、なくなったはずの旧暦がしっかりと生きているから不思議です。地球に最も影響を及ぼすのは太陽と月です。一年365日で太陽の周りを公転する動きもさることながら、毎月一回地球の周りを回る月は、潮の満ち引きに大きく関係し、あらためて宇宙の不思議を思うのです。海で漁をする漁師さんにとって月齢は重要な意味を持っています。満月と新月は一ヵ月のうち最も潮の流れが速く、特に春先とお盆の頃は特に大きく塩が膨れ上がるのです。潮の読み方一つで魚がたくさん取れて大漁になったりするのですから、潮をよむ第六感がたけている人は大きな収入を得ますが、逆に潮のよみを間違えると網を破ったりして散々な目に遭うのです。

 最近はレーダーや魚群探知機が普及発達し、GPSを使えば魚礁などのデーターがインプットされていて、かなり正確な漁業が営まれるようになってきましたが、その分潮をよむ技はどんどん低下しているようです。

 私も若いころ7年間漁師をして潮をよむ名人といわれた親父のもとで修業をしました。潮をよむ技術は体験以外から学ぶことはできず、むしろ盗みとらなければならないのです。残念ながら病気がもとで漁師の道を断念しましたが、もし私があのまま漁師を続けていたらどんな技を身につけたのだろうと思いながら、今はすっかり用をなさなくなった旧暦の暦を見るのです。

 漁業ほどではありませんが農業の分野でも旧暦の暦は作業の中に生きていて、種まきや収穫などに関する農作業のことわざは殆ど旧暦で言われています。「八重桜が散ったら霜の害はまずない」などという言葉も、冷害に悩む農民の暮らしをよく表現しているのです。

 今は昼と夜の長さが同じ春分の日前後です。昼の長さが最も短かった冬至(12月22日)と比べると、約2時間も昼が長くなっているのです。一日一日の夜が明ける時間はそんない変わらないのに、月日の積み重ねが大きな変化を生んでいるのです。春分の日が過ぎると春は一気に駆け足でやってきます。早い遅いと一喜一憂した桜も、昨日の温かい雨風で一気に開花が進み、この週末には桜の花見を楽しむ人たちで賑わうことでしょう。

 わが家も親父の体内時計のように長年にわたって組み込まれた旧暦の暦のお陰で、今年も様々な農作業が行われます。既に「椿さんが終わるとジャガイモを植える」とか、「春分が来ると里芋を植える」という親父の言うとおり植えました。ジャガイモは既に芽を出し始めていて、畑へ行くのが楽しみになってきました。今年こそはと昨年の失敗を繰り返さないよう種まきの時期を考えています。

 これからも新暦の下に言いわけ程度に書かれている旧暦の暦を見ながら暮らしたいものです。

  「日めぐりの 言いわけ程度の 旧暦を 大事にわが家 今年も作業」

  「染みついた 親父の体の DNA 旧暦元に 今も暮らして」

  「そういえば なるほど思う ことばかり 故事ことわざに 旧暦生きて」

  「この町は 農業漁業 生きている 人が多くて 旧暦標準」

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