shin-1さんの日記

○幸せの尺度は人それぞれ違うもの

数日前、いつも通り大学へ行くため8時30分に自宅を出て、海岸国道を自家用車で走っていました。車が高野川の海楽園跡辺りを過ぎ山手に入ろうとする時、通り過ぎた広場で海を見ている男の人を横目にしたのです。「おや?」と思いつつ対向車線は車が10台ばかり続き、自分の後続も6~7台車が続いていたので、止まることもできず少し走りましたが、どうしてもそのことが気になって「もしや?」の好奇心が頭を道上げたので、広場でUターンして引き返してみました。

 後ろ姿なのであるいは見間違えかも知れないと思いつつ、そっとその人の近くへ車を止めてみると、やはり私が思った通りその人はSさんでした。Sさんは3年前県庁を退職した友人です。現職中は何かと気が合い、特にフロンティア塾には度々駆けつけ学びの輪の中に入ってお互い肝胆相照らす仲でした。フロンティア塾の春は青春塾、夏は朱夏塾、秋は白秋塾、冬は玄冬塾という名前を付けてくれたのも彼でした。また無人島キャンプの看板を達筆な腕に物を言わせて書いてくれたりもしたのです。しかし彼は一匹オオカミ的な性格で、私たちの仲間には入らず、煩わしさから逃れるように退職後は突然私たちの前から姿を消して久しいのです。退職してこの3年間何処でどうして暮しているのか、音信さえも途絶えていましたが、昨年フロンティアグループの世界遺産を巡る旅に同行しみんなを驚かせましたが、それ以来再び雲隠れしてこの日の朝海を見ている後ろ姿を発見した訳です。

 私より年齢は1歳若いのですが頭は白く、私より老けている感じも自任していますが、短い立ち話で近況を聞き、4月の初旬に実施する石見銀山への旅に再び誘いました。快く同行の返事をしてくれた、お互いが健康を気遣いながら別れました。

 彼の実家は西予市です。田舎には歳老いた両親が住んでいるようで、これからそちらへ走ると言っていましたが、彼はまるで仙人みたいな男で、松山へ一人で住んでいることまでは分かっていますが、定職を持たず暮らしていて、私たちと完全に距離を置いた暮らしをしているのです。

 私のように沢山の家族に囲まれ、そして沢山の人と巡り合ったり付き合いながら暮らしている私とは大きな違いです。多分孤独を愛するまるで山頭火のような生き方に憧れ暮らしているのでしょうが、寂しくはなくむしり煩わしくないと胸を張って答えていました。彼の生き方を見てふと私自身の生き方と比較しながら、どちらが幸せか考えてみたのです。


 最近私たちの身の回りには人を恋しがらず生きている人が結構多いことに気が付きました。結婚をせずただ職場と住む場所をただ往復している人、地域社会に暮らしていても隣との付き合いも一切せず家で何をしているのか全く分からない人、何かにつけて文句を言い権利h主張するが義務を果たさない人、地域の集会にも一切顔を見せずボランティアのボの字もやらない人など様々です。

 私のような人間とはおおよそ人種が違うのかと思わせるような生き方なのですが、私には理解出来ないもののそれでも人生はどうにか転がっていくのですから不思議です。付き合いを遮断している分無駄な出費も要らないので、その人たちは結構リッチな暮らしをしていて、自宅には人間を模倣しているかのように犬や猫を部屋の中で飼い、人間以上の愛情を注いでいるのです。

 人間の幸せとは一体何なのか?、いよいよ分からなくなってきました。でも人間の幸せの尺度は人それぞれで、私の幸せの尺度とSさんの幸せの尺度は違うのですから、自分が幸せだと思えばそれでいいのです。これからも私流の幸せを求めて生きて行きたいと思っています

  「幸せの 尺度それぞれ 違うもの 俺には俺の 物差しありて」

  「最近は 人を疎遠に 生きている 人が沢山 田舎にさえも」

  「あの人は 付き合い悪いと 言うけれど それもまたよし 人それぞれに」

  「幸せは 幸せ思う 心にて 心なくんば 幸せ言えず」

 

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shin-1さんの日記

○迷ったら心の羅針盤を信じて進め

 人間は弱い動物で、いつも不安に駆られるものです。何処かへ出かけるとき車に乗ってから「はてさて、電気は消したか、ガスは消したか?」と不安になります。昨日はお彼岸ということもあって妻と二人でお墓参りに出かけました。その足で隣町の昨年の春亡くなった叔父の家へ新彼岸のお供えを持って出かけましたが、妻は車が走り出してから、「お父さん、私ガスを消したかしら?」というものですから、再び引き返して家に帰り確認したのです。結果的にはガスも電気も消されていましたが、この歳になるとついさっきまでの記憶が飛んで、ひどい時などは「はて私は何をしようとしていたのか?」なんてことしょっちゅうなのです。こんな場合は「迷ったら元の道を引き返せ」という格言がピッたりなのです。そうすればたとえそれが無駄な行動だと思っても、結果的には大きなリスクをせずに済むのです。余程なことがない限り電気の消し忘れで火事になることはありませんが、ガスやアイロンとなると話は別で、大火事になる危険性だってあるのです。

 わが家はもう30年も前に小さなボヤ騒ぎを起こしました。私が無人島キャンプに息子を連れて参加した最初の年は、台風にも似た暴風雨で散々な目に遭いました。ずぶ濡れになって疲労困憊した私たちを迎えるため妻は美味しいてんぷらを揚げていました。そこへ私たちが「ただ今」と帰りました。妻はてんぷらを揚げていることより私たちの帰宅に気を取られ、私たちの身の回りの世話に熱中しました。

 ものの4~5分すると家の中に白い煙が立ち込め、ガス台から火の手が上がっているのです。驚いたのなんのって、急いで消火器で消し大火は免れましたが、新築間もないというのに網戸やサッシの一部を焦がしてしまったのです。このボヤは火災保険の適用を受けてすっかり復元されその痕跡は跡形もなくなりましたが、それ以来妻はガスには敏感過ぎるほど敏感になって、出かける度に2度3度確認をするのです。

 私も妻もこんなおっちょこちょいな人に言えない恥ずかしいエピソードを、幾つも秘めながら今日まで大過なく過ごしてきたのですが、お陰さまでガスだけはしっかりと確認する習慣がつきました。

 しかしこんな小さな引き返すことのできることはいいのですが、人生には一度や二度、大きな迷い道へ迷い込むことがあるのです。仕事のこと、夫婦のこと、子どもの人生などなど、人から見れば些細なことながら私にとって修羅場とも思える幾つもの迷い道に迷いこみました。

 その時「迷ったら心の羅針盤を信じて進め」という実習船えひめ丸の船長さんから聞いた話を思い出し、事なきを得たのです。私は宇和島水産高校に学びました。高校3年生の時実習船で南太平洋を航海しましたが、地球の大きさから比べればほんの小さな実習船が珊瑚海を目指し、再び日本を目指す大航海はまさに引き返すことのできない旅でした。「迷ったら心の羅針盤信じて、本物の羅針盤を見ながら進む」えひめ丸の進路は私の人生そのもののだったように思うのです。

 人間は幾つもの岐路に立たされます。その都度迷いその都度進路を決めて生きて行かねばなりませんが、せめて信じる道が正しい方向であるような人生を送りたいものです。


  「迷い道 右か左か 真っ直ぐか 時には勇気 引き返すこと」

  「迷ったら 心に羅針 盤描き 信じる道を ただひたすらに」

  「人生を 振り返りつつ 思うこと いい羅針盤を 持った幸せ」

  「ガス消した? 戻るロスなど しれたもの 大火思えば どうてことない」

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