shin-1さんの日記

○天下の八海醸造でもてなしの心を学びました

 皆さんは「八海山」という名前を聞いた時どんなことを思い出すでしょう。私のような下戸(お酒を飲まない人)であれば「八海山」という山の名前くらいしか連想しないのかも知れません。しかし通な人(お酒を愛する人)であれば、一度や二度は聞いたことのあるお酒の銘柄だとすぐに分かるし、一度は飲んでみたい酒でもあるのです。その蔵元である八海醸造さんからこの度講演の依頼が舞い込み一も二もなくお引き受けしました。私の今回の招聘には越後湯沢ぽんしゅ館の高村秀夫さんが絡んでいて嬉しいことなのです。

 八海醸造は上越新幹線浦佐駅からそんなに遠くない八海山の麓にありました。八海醸造は年間3万4千石ものお酒を醸造する全国的にも名の知れた蔵元です。1石が一升瓶で百本だと聞きましたから、3万4千石という数字は気の遠くなるような数字なのです。最近は焼酎やワインに押されて日本酒の飲酒量が右肩下がりだと聞いていましたが、この酒蔵は別格で関東を中心に愛飲されているという話を、八海山の雄大な自然をバックに中村企画課長さんから聞かされ納得しました。八海山のまろやかな伏流水、魚沼でできる美味しいお米、杜氏さんの確かな技、そして北国の寒い風土が三位一体ならぬ四位一体となって八海山という芸術品にも似たお酒は出来上がるのです。私の町に朝日酒造の特約店があって久保田などが販売されているため、新潟のお酒については店主の三井典行さんから随分聞かされていましたが、その三井さんも昨年ガンで亡くなり、縁が途切れたように思っていましたが、今回の蔵元での講演会でがぜん新潟が近くなったような感じがして、新潟入りする直前に東京御徒町のスーパーで八海山を買い求めて宅配便でわが家宛てに送ったのです。

若松進一ブログ (地ビール工場の二階にある結婚式もできるという素晴らしいレストランが講演会の会場でした)
若松進一ブログ (地元の著名人が名を連ね、会員さんたちが80人ばかり集まっていました)

 八海醸造は地ビール工場も持っていて、この日の講演会は工場の二階にある大きなレストランで行われました。船底をイメージしたというまるで木造教会のような見事な建物です。私の話は90分でしたので、少し早口での講演になってしまいました。私のような田舎者の話にも熱心に耳を傾けていただきました。

 普通だと講演会後のパーティでは八海山を飲みたかったのですがそれもかないませんでした。それでも盃にほんの少し注いでいただき香りと味をたしなませていただきましたが、いやあ出されたお酒は蔵元が自信を持ってここだけしか出さないし飲めないという幻の一品だけあって、参加者も心得ながら飲んでいました。地産をモットーにしたシェフのこだわり料理も最高で、特に雪下人参のスープはこれまで飲んだどのスープよりも美味しかったと、自分の舌が今もその味を覚えているのです。

 蛇足ですが、この素敵なホールでハーモニカの音色を響かせたいと急に思いつき、中村課長さんにお願いして最後に演奏をさせてもらいました。

若松進一ブログ (この方が社長の南雲二郎さんです。中々の太っ腹でいいお出会いとなりました)

 パーティは時間を延長して午後9時30分で中締めとなりましたが、その後主だった人たちは会社の横にある迎賓館のような凄い民家に招かれ、会長である社長のお母様の手料理を頂きました。この会社先代とともに育ててきた会長さんの人をもてなす術にはもうただただ感心するばかりでした。一族会社は得てして気ぶらいが高いものですが、会長さんのひたむきな姿を見て、この会長さんとの出会いだけでも新潟に出かけた甲斐はあったと一人嬉しくなりました。酒の肴に出された会長さん自らが作られたという手料理の数々は、損所そこらでは食べられないものばかりでした。


若松進一ブログ(お座りの方が会長の南雲仁(あい)さんで、この料理を全て作られたそうです。いやあ驚きました)
若松進一ブログ(私もご相伴にあずかりました)

 その夜の宿泊所での管理人さんのもてなし、あくる朝社員食堂での朝食とすっかり迷惑をかけ、挨拶もそこそこに会社を出て帰路につきましたが、繁栄する会社のもてなしの仕方をしっかり胸に刻んだ八海醸造での一泊二日でした。


  「蔵元で もてなし心 学びつつ 雪の寒さを 忘れて熱く」

  「船底を イメージしたと いうホール ハーモニカ吹く 響き朗々」

  「酒絶った ことを悔むや 八海山 鼻に近づけ 香りだけでも」

  「この酒を 親父に飲ませ やりたいと 思うだけでも 孝行つもり」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○清水女史と二人で束の間の東京を楽しむ

 私の町から新潟を目指すには松山空港まで車で行きます。空港近くのコナンパーキングに車を宿泊させ、羽田空港を経由します。羽田からモノレールで浜松町まで出て、東京か上野から新幹線で新潟入りするのが一般的な旅のルートです。すんなり乗り継ぐと遠いと思っている新潟も場所によっては午前中に着くのですから、便利で早くなったものです。

 今回はほくとう総研(北海道東北総合研究所)の清水女史が同行していただくことになりました。今回の新潟行きは元はといえば、清水女史によって引き合わせていただいた越後湯沢ぽんしゅ館の高村さんの仲介によるもので、私の新潟行きを知ってわざわざ休みまで取っての同行で恐縮してしまいました。

 清水女史とJR御徒町北口にあるスーパー吉池で落ち合いました。飛行機の便が早かったため、午後の待ち合わせに十分時間があって、食事をご一緒したり吉池総務部の三浦女史とも出会って、吉池のお店の惣菜や鮮魚、酒類部門の見学をしましたが、いずれも凄い人気のお店で参考になることがいっぱいあり行きずりの見学ながら勉強をさせていただきました。

 清水女史とは秋田県横手への同行、2015年問題で新潟入り同行、ほくとう総研の現地調査で愛媛県視察の折の人間牧場見学、ほくとう総研への寄稿文掲載など何度か同行したりお仕事をさせてもらいましたが、山梨県清里に住む観光カリスマの舩木上次さんとも深い交友があることから、急速接近の間柄になっているのです。

 清水女史は今回新しい名詞を持っていました。東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻、人文地理学教室博士課程という、東京大学らしく難しい学問を習っているのだそうです。政府系金融機関の職員でありながらほくとう総研という研究機関に出向して、それでも飽き足らず学びながら博士を目指す向学心は立派という他はないのです。私の周りにはこのような進化人類が何人かいて、出会うたびに進化している姿に私自身が感化を受けるのです。

 私も清水女史と初めて出会ってから随分進化したつもりでしたが、それでも清水女史にはまだまだ叶わないと、リベンジの相手ではないにしても頑張らねばと自分自身に進化を誓いました。

若松進一ブログ (久し振りに出会い、新潟まで同行していただくことになった清水女史と二人で東京見学ができました)
若松進一ブログ (上野公園入り口の桜は満開で一足早い花見を楽しみました)
若松進一ブログ (上野公園の象徴である西郷隆盛の銅像、彫刻家高村光雲の作です)

 吉池で食事をした後清水女史と私は御徒町からアメ横をぶらぶら歩き、上野公園を散策しました。少し肌寒いものの上野公園入口には早咲きの桜が今を盛りと咲いていて、一足早い花見を楽しみました。その後上野公園の敷地内にある忍ばずの池へ下りて行きましたが、東京のど真ん中ながら野鳥が沢山群れてのんびりとした気持ちにさせてもらいました。

 忍ばずの池周辺の木々の芽も膨らんで、風に揺れる柳の芽は伸び始めていました。この日は風が強く、私たちの地域では風雨が強くなったと、妻から電話連絡が入りました。

若松進一ブログ (深い紫色の釣鐘桜も咲いていました)
若松進一ブログ (忍ばずの池の入口の東叡山寛永寺境内)
若松進一ブログ (寛永寺の八角堂)
若松進一ブログ (間もなく忍ばずの池の真ん中を横切っている細い歩道沿線は桜の花が咲き、一年で一番美しい季節を迎えます)

 やがて私たち二人は上野から新幹線に乗り新潟を目指しました。この日は何故か列車の指定席が満席で取れず、時間があるので一便早い各駅停車に乗って座席を確保しました。越後湯沢で後発の新幹線に乗り換え、目的地である浦佐の駅に着きました。


  「西郷の 銅像見上げ いにしえの 敬天愛人 言葉を思う」

  「忍ばずの 池の周りに 羽休む 野鳥の背中 太陽そそぐ」

  「東大の 院生名刺 持つ女 心優しき 気配り合わせ」

  「束の間の 東京散歩 楽しけり 早咲き桜 一輪肩に」

 

[ この記事をシェアする ]