shin-1さんの日記

○九州(吸収)合併ではなく四国の合併とは面白い

 合併して行政上の名前が地図上から消えたまちへ行く度に、どこか灯が消えたような感じがするのは私だけでしょうか。私の町双海町も行政上の名前は地図上から消えました。しかしかろうじて双海町という地名は新しい市の名前の下に残っていますが、昔の自治体の名前まで消されたまちへ行くと、まさに対等合併とはいえども吸収合併だったことを実感するのです。笑い話ですが「ここは吸収合併ですか」と尋ねたら、「いやいや九州ではありません。ここは四国ですから」とジョークが返って大笑いをしました。

 昨日松山市の向こうにある旧北条市へ行きました。まちづくり協議会を作るべく設立準備会を立ち上げているようで、その全体会に招かれたのですが、やはりどこか沈んだ空気は否めませんでした。それでも会場には男性を中心にかなり集まっていて、海が始まる頃には満席となりましたが女性はちらほらでした。


若松進一ブログ

 北条といえば合併前は3万人そこそこの市だったように思います。ゴルフ場も3ヶ所あって、前海には鹿島というかつては有名な観光の島があるのです。北条の人に聞けば北条=鹿島と答えるほど鹿島は北条にとってシンボル的な存在なのです。ご存じのように南宇和郡の旧西海町にも同じ地名の鹿島がありますが、最近はどちらも観光面では苦境にあえいでいるようです。

 私たちが子どもの頃や青年の頃は鹿島といえば有名で道後動物園、松山城とともに遠足に行く場所でした。遊覧船に乗って渡る鹿島はまるで別世界のようで、鹿が沢山群れていたのを思い出します。最近は近くに道の駅ができ、その海岸も整備されたため、鹿島はすっかり忘れ去られた存在になっているようです。でも鹿島の魅力は道の駅のような急ごしらえなものではないので、生かし方によっては大きな観光資源となることは間違いのないことです。そのためには物語をしっかり作りみんなで育てて行かなければならないと思うのです。


 昨日も何人かに「若松さん、双海の夕日も綺麗ですが、北条の夕日も負けないほど綺麗ですよ」と聞かされました。私はその都度「それがどしたん」と返してやります。だって夕日が綺麗だと思うのなら、行動を起こして夕日の美しさを表現しなければ、知らない人には伝わらないのです。

 私がやった夕焼けコンサートも、作った道の駅しーさいどふたみも全て夕日の物語の一つなのです。多分夫婦岩のある北条鹿島の夕日は双海の夕日より一枚も二枚も上だったはずなのですが、物語性やこだわりにおいて

双海町や私には負けるのです。行政が一歩手を引いた今となっては住民が立ち上がり、住民の手でこれらを動かす以外ないのです。その意味ではまちづくり協議会の行方に期待したいと思うのです。

 知人友人が沢山集まっていて、帰り際わざわざ玄関先まで送ってくれました。


  「久し振り 訪ねた地域 活気失せ 少し気になり 頑張れ激励」

  「吸収と 九州かけて 大笑い ここは四国だ なるほど相槌」

  「船着場 人の影なく 寂しけり かつてはあった 賑わいどこに」

  「穏やかな 北条の海 雨曇り 今度必ず 晴れの鹿島へ」 

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shin-1さんの日記

○風は吹けども山は動ぜず

 小沢さんの秘書が逮捕され政治献金問題で与野党の攻防が一段と激しくなってきました。小沢さんの言うとおり何もやましいことがないのであれば、不当な国家権力の介入としか言いようがないのでしょうが、日本の検察が嘘をついて現政権に協力しているとも思えないし、私たち国民はどちらの何を信じたらいいのか、こんな不景気な世の中ですからもう少し真面目に景気対策などについて考えてほしいと願っています。こうした茶番劇は今に始まったことではないので、国民は冷めた目で見守るしかないのです。マスコミも報道の自由を振りかざして、茶番劇の手助けをしているように思えてなりません。名探偵コナンの名セリフ「真実は一つ」なので、真実をしっかりと解明してほしいものです。

 どうして政治家は嘘をつくのでしょう。言っている言葉が信じられないところに政治不信や選挙の投票率低下に結びついていることをもっと考えてほしいと思うのです。

 昨日の朝9時ころ大学へ出勤する途中に、天山の交差点で街頭演説の光景を見ました。忙しく通り過ぎる車も交差点では信号ストップします。それを狙ってのアピールのつもりでしょうが、次期選挙に立候補する候補者予定の人がマイクを持って一生懸命何かを訴えていました。寒い冬の時期なのでどの車も窓を開けないため、何を言っているのかさっぱり分からない様子でした。私は信号が青だったため顔見知りのその方には失礼でしたし、周りに悪いとは思いましたが、クラクションを短く叩き「ご苦労さん」と応えてあげました。候補者予定の方はそのことに気づいたようで、手を挙げて応えようとして思わずマイクを地上に落してしまい、バックミラーにマイクを拾う姿が映り、済まない気持ちでいっぱいになりました。

 それにしても最近は選挙の事前運動ではないかと思うほど候補者の看板が目だち、綺麗な町も看板と候補者政党の幟で埋め尽くされていて、美観を損ねているのです。綺麗なまちづくりを一方ではマイクを持って訴え、一方では相反する行動をして姿には余り共感を覚えないのです。多分街を良くすることよりも政治家になりたい願望の方が強いのだと思うのです。現にあれほどよろしくお願いしますと頭を下げた国会議員も選挙が終われば全く顔を見せず、東京の上屋敷に妻や子供を住まわせてお江戸暮らしを楽しんでいるのです。次の選挙も気になるのでそろそろ参勤交代のような形のお国入りがあるのでしょうが、政治の世界は今も江戸時代と全く変わっていないようです。

 先日春一番が吹いたとき、私たちは余りの風の強さに恐れおののきました。山はごうごうと音を立てて木々を揺らし、小枝が飛んできたりしましたが、「風は吹けども山は動ぜず」のことわざどおり微動だもしませんでした。今の日本は「風が吹かぬも山動く」ような軽々しさで、少し旗色が悪くなるとまるで敵前逃亡のようにさっさと責任を逃避してしまうのです。せめて「風吹くも山は動ぜず」まではいかなくても、風が吹いて山を動かすくらいにして欲しいと願っています。

 もうそろそろ春2番の風が吹きそうです。北海道と青森から交付金発給の知らせが届きました。受け取った人は満面の笑顔でインタビューに答えていましたが、小さな町だからできる即決行政に大きな拍手を送ります。大きいからできないというのは、行政のやらないことをやれないという言い訳にしか過ぎないと、合併したくないのに合併させられて大きくなった住民のうそぶきが聞こえてくるようです。

 もちろん私も12千円をいただいて消費行動を起こす予定です。


  「風吹いて 山が動くか 日本山 もっとどっしり 景気対策」

  「嘘つきが 多いと不審 募らせる 誰を信じて いいのでしょうか」

  「金成功 した人末路 結局は 金でその身 滅ぼす例え」

  「村だから できるというが 市や町じゃ どうして出来ぬ 首をかしげる」

  

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