shin-1さんの日記

○沢山の枝豆をいただきました

 今日午後、伊予市で多角的な育苗農家を営む水口マリ子さんの農業事務所にお邪魔しました。近所からいただいたお魚のおすそ分けとして、ハマチを持参したのです。世の中こうも以心伝心かと思うほど、何の前触れもなしに出かけたのにピッタシカンカンで、倉庫からたまたま出てきたまマリ子さんと出会いました。先日は妹さんと一緒にお米やキャベツなどの苗物をわざわざ自宅まで届けていただいたのに、何のお返しもできなく心苦しく思っていたので、魚を手土産にできて幸いでした。

 いきなり「若松さんちょうどよい所へ来られました。丹波黒豆の枝豆が実って食べごろなので畑へ取りに行きましょう」と誘われ、まマリ子さん運転の軽トラの後ろを付いて走りました、JR予讃線沿い横田駅近くの田んぼへ行くと、見渡す限り広い田んぼいっぱいに黒豆が植えられていて、美味しそうな枝豆の実がたくさん付いていました。

 一昨年も丹波黒豆の枝豆をいただいてコクのある味をしっかり覚えているので、お言葉に甘えいただくことにしました。マリ子さんは慣れた手つきで私と雑談をしながら、あれよあれよという間に次々と根元から切り取ってゆくのです。「そんなに沢山いただいても食べきれないので」と言いましたが、「知人にでも差し上げてください」と私の軽トラの後ろにうず高くなるほどいただきました。

 自宅へ帰ってから、今日は末の息子が帰省しているので喜ぶだろうと思いつつ、丁寧にハサミで摘み取り始めたのです。しかし途中から加わった妻はハサミなど面倒くさくてラチがあかないとばかりに、野性的に手でもぎ始めました。さすが生活力のある妻です。私よりはるかに作業効率がいいのに驚いてしまいました。仕方なく私も手でちぎり始めましたが、夕方になって蚊が出てきたため、今日食べるのは確保したため、作業は明日に持ち越しとなりました。しかしその枝豆の量たるやかなりの量なので、近所へおすそ分けしてあげようと思っています。

 さっそく妻はもぎ取った枝豆を塩茹でしてくれましたが、まあ味は絶品で温かいうちのつまみ食いで腹が太ってしまうほどでした。この時ふと「ああビールが欲しい」とビールを飲んでいたころの昔を懐かしみました。これほど美味しい枝豆はビールのつまみに最高だろうと思いましたが、きっぱり止めたため呑みたいとは思わず、また冷蔵庫に冷やしたままのビールを取り出そうとも思わず、自分の意志の強さを少し褒めてやりました。

 わが家では今年の夏緑の枝豆づくりに挑戦しましたが、残念ながら播いた種が発芽しなかったり、発芽しても折からの水不足で育たなかったりで、残念ながら大不作でした僅かに残ったものも2回程度しか食べることができず、種代で買った方が良かったほどです。でも諦めないで来年こそはとリベンジを誓っているのです。

 私の夢は大豆を作り、収穫した大豆で豆腐を作ることです。ソバも作って収穫した実でソバを打って食べてみたいし、色々なことに挑戦したいのですが、中々忙しくてその夢をかなえることができません。「そのうちそのうち日が暮れる」といわれるように、早くしないと足腰が立たなくなっては遅いのですから、ひとつ来年は性根を据えて頑張りたいと決意を新たにしているところです。

 水口マリ子さんの畑を見て羨ましく思いました。水口さんの畑は朝から晩まで太陽が当たるのです。わが家の菜園は真夏は太陽がよく当たるのですが、晩秋から冬にかけては、太陽が裏山に隠れて日照時間がかなり少ないのです。冬野菜の日照不足は生育に大きく影響するようで、冬野菜の育ちはかなり悪いようです。でも大根などのようにそれなりにできるものもあるので、負け惜しみをいわずせっせと野良仕事に励んで作りたいものです。

 畑の牛肉といわれるタンパク質の多い大豆を今日は存分に堪能しました。水口まマリ子さんありがとう。

  「お魚の お礼に貰った 枝豆を 私ハサミで 妻は野性味」

  「枝豆を 食べて恋しい ビール味 禁酒誓って 早くも十年」

  「豆食べて 豆偏頭 良くなると 信じて食うが 未だ変わらず」

  「枝豆に 丹波黒豆 あるという 味は抜群 モチモチ食感」 

 

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shin-1さんの日記

○親父の背中

 親父の背中におんぶして 海を泳いだ小学生の時 初めて親父の背中の存在を意識した

 親父の背中にしがみつき 沖に浮かんだ船まで浮き輪につかまるように泳いだ

 親父の逞しい腕が船のスクリューのように 勢いよく水をかき分けて進んだ

 親父は強い人間だと思った

 親父の背中が とてつもなく大きいと感じたのは 高校生の頃だった

 水産高校の実習船で遠洋航海に旅立った時 伊豆諸島辺りを通った

 大きなうねりにもまれる実習船のデッキで 親父が小さな漁船を操りながら生きた海を見た

 親父は凄い人間だと思った 

 親父の背中が危ないと感じたのは青年の頃だった

 ガンに侵されベットの上に寝かされた親父の背中を おふくろは湯気の出るタオルで拭いていた

 長くはないかも知れないと医者から聞かされた時 親父の背中に生きていてくれと心の中で叫んだ

 親父は偉大だと思った


 親父の背中が厳しいと感じたのはやはり青年の頃だった

 他愛のない親子喧嘩をして 家を出ると言い放ち家を出た

 行く当てもなく街中をさまよい 泣き付いた叔父に説得されて親父に詫びを入れた

 親父は冷たいと距離を感じた

 親父の背中が自分と同じだと感じたのは息子が誕生した時だった

 名前をつけ這えば立てと成長する息子を 諭しながら育てる時

 はじめて親父の願いが自分の願いと一緒であることを知った

 親父はこんなものかと同じを知った 

   

 親父の背中が小さくなったと感じるのは今朝だった

 親父は漁師の家に生まれ 漁師になるべくしてなり 漁師として海に生きた

 その間様々な難関に立ち向かいながら乗り切り 家族の大黒柱となって生きてきた

 親父はまだまだ生きていて欲しいと感じた 


 自分で見えない自分の背中の小さきを背中に感じながら 親父の背中と比較する

 親父は強いし凄いし偉大な背中を今も持ち続けている

  「親父とは 親父になって 自問する 親父の背中 やはり目標」

  「名も無きに 等しき親父 見習って 名もなく消える それもまたよし」

  「今日の朝 親父の背中 サロンパス 張りつつ思う ・・・・・・・・・」

  「ああ俺も いつかは息子 同じ目で 見られる定め 世のならわしか」

  

 

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