shin-1さんの日記

○私の大好きなマリおばさん

 こんな呼び方をすると相手に失礼ですが、私はこの人を「大好きなマリおばさん」と呼んでいます。3年前に合併して今は同じ伊予市の市民となりましたが、彼女は旧伊予市に住んでいます。何処で知り合ったかもう随分前のことで記憶は定かではありませんが、マリおばさんの話だと私の町で行われたある人の結婚披露宴に列席した時、その披露宴の司会進行を私がやっていたようです。私はこれまで537組もの結婚披露宴の司会をしているため、これまで貯めている予定表をめくれば何月何日と分かるのでしょうが、その折私の司会進行にかなり感心して帰られたようです。それ以来縁もゆかりもなく過ぎていましたが、マリおばさんが更生保護婦人会の役員をしていてその研修会に招かれて講演をして再開しました。またマリおばさんが民生委員をしていt折にも地域の高齢者研修会に招かれ講演をしました。こうして急速に交流が深まり、マリおばさんの家は息子さん夫婦や雇ってる人たちで稲苗を生産する大農家ですので、ビニールハウスで栽培したトマトやキューりを頻繁に届けてくれるようになったのです。枝豆やソラマメなど季節の食べ物がどっさり届き、珍しいものばかりでわが家の食卓を賑わせているのです。

 私としては差し上げるものもなく、時折いただいたおすそ分け程度の魚を届けるのですが、その度に若い息子さんご夫婦ともすっかり顔なじみになって、親類のような付き合いをさせていただいています。

 数日前私は魚を持参しました。あいにくマリおばさんは旅行に出かけていて留守でしたが、若奥さんから毎年いただくキャベツやブロッコリーの苗を沢山段ボールに詰めていただいたのです。その日はあいにく雨でしたが私は山口行きの出張の前日で家を留守にするため、雨の中で畝を起こし植えました。今朝その様子を見に菜園へ出かけましたが、降った雨でちゃんと畑の中で活着しているようです。

 昨年もマリおばさんからいただいたキャベツやブロッコリーの苗を沢山植えましたが、それは立派なキャベツがやブロッコリーが沢山できて近所や親類に配って喜ばれました。また年末になると葉ボタンの寄せ植えが届いて家の玄関を綺麗に飾りました。昨年は秋馬鈴薯の種をいただい秋ジャガイモを相当楽しんで食べたのです。

 昨晩山口県から帰って一息ついたころ、マリおばさんから電話がかかりました。旅行で留守をしていたので、今日は私の家へ新米を持って行くからというのです。わが家であ玄米のご飯を食べているのを知っているのです。何時に来るかも定かではないのですが、マリおばさんは妹さんとわが家を訪ねるようです。マリおばさんは昨年友人を連れて人間牧場へ遊びにやってきました。その折は足湯などをして楽しんだと記憶していますが、はてさて私は今日は午前午後、それに夕方からは福井へ向けて出発しなければなりません。会えるかどうか心配ですが、マリおばさんがいうように、「会えなかったら会えなかったでまた会える」と思って、気にせず出かけることにしています。

 朗らかに生きている水口まり子さんを見習って私ももっともっと前向きに朗らかに生きていこうと思っています。

  「大好きと 言われるような 人間に なりたいでものと 今日も見本に」

  「好物の 野菜の苗が 活着し 来年春を 目指して育つ」

  「新米を 持って憧れ やってくる だのに留守とは 済まぬことです」

  「台風は 何処へ行ったか 跡形も 見せぬ青空 雲がゆっくり」 


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shn-1さんの日記

○内向きと外向き

 最近はインターネットが普及して、私のような田舎に住んでいる人間でも、その気になってインターネットを使えば、世界各国の情報が瞬時にして自分のデスクに届くのですから、便利な世の中になったものです。今や最も格差を感じるのはインターネットが使えるかどうかというのだそうですが、わが町にはまあインターネットに縁遠い人だって沢山いて、インターネットの話をしてもまるでチンプンカンプンという話をよく耳にするのです。例えば私が毎日のように書いているブログだって、約祖に努めている人でさえ読めないのですから、どんな立派な文章を書いて毎日配信しても、インタネットを使えない人には猫に小判、馬の耳に念仏といったところでしょう。

 私たちは知らず知らずのうちにこんな情報社会に生きていて、外向きな情報にはかなり敏感になってきましたが、外向きの情報が多い反面内向きな情報に意外と疎くなっているように思えるのです。海の向こうのウォール街の金融情報がその日のうちに自分の手元に届くのに、隣近所の情報は中々入ってこないばかりか、知らないことだっていっぱいあるのです。私は昨日までの二日間山口県へ出張していました。故郷を離れたのは僅か二日間ですし、大きな地元のニュースは時折かけてくる妻の電話で報告を受けるのですが、妻の行動範囲の情報収集能力はたかが知れていて、そんなに広い範囲の情報はつかみ得ないのです。

 昔から地元の噂話の火種は散髪屋と風呂屋といわれるように、人の集まりところには必ず情報が集まります。もっともその情報の中には単なる噂話もあるのですが、それでもそんな場所に時々顔を出すと知らないことをいっぱい教えてくれるのです。

 この二日間の留守中に、少し深刻な話が持ちあがっていました。プライバシーにかかわる話なので公表はできませんが耳を疑うような話でした。この話は今朝の散歩で同じ散歩をしている町内では著名な方から、「あんたこんな話知ってるか?」と、唐突に立ち話で聞いたのです。「知らない」といえば、「ここだけの話なので、私から聞いたと言わないようにしてくれ」と釘を刺されて話を聞きました。「へえー、そんなことがあったの」と、僅か二日間の留守中の話に驚いたものです。正直身近な情報に疎くなったと思いました。これまでは良きにつけ悪しきにつけ役場という社会に身を置いていたため、身近な情報は沢山入っていましたが、今はそんな情報も頭の上を通り過ぎているのです。

 もうひとつ、自分自身のことになると、自分の外への関心が募る余りに大切な内面を見忘れてしまいがちになっているようです。こういう時代だからこそ自分を知り努力をしなければならないと思うのです。

 人間は自分というもう一人の自分を案外知らないようです。「自分」という文字を分解してみると「自分」の「自」は

独自なもの、「分」は一部分だと思うのです。浅学非才な私に自分を語る能力などありませんが、自分は自分であるとあると同時に他のもの、つまり全体の一部分ではないかと思うのです。そう考えれば人間と人間、人間と自然との共生という人間の生き方も見えてくるのです。

 何年か前グロ-バルとローカルを組み合わせてグローカルという言葉を作ったことがありますが、自分とはまさにグローカルなものえあること思うのです。インターネットの世界はグロ-バルな地球規模の広い情報ですが、耳や肌で感じるローカルな情報も必要であり、付け加えるなら自分のミクロカル(勝手に考えた造語)な内面に潜む紹鴎もまた必要な気がするのです。朝から難しい話を書いてしまいました。

  「外向きに なればなるほど 内向きが 疎かになる 気をつけなくちゃ」  

  「昨日まで たった二日の 留守中に 色々起こる 知らないニュース」

  「自分とは いかなるものぞ 考える そんな暇ありゃ もっと働け」

  「留守中に 届いたメール 数知れず 日々刻々と 時代は進む」

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