shin-1さんの日記

○片付かない部屋

 昨日は雨でした。午後から運営委員会への出席が予定されているため、外に出ることもなくストーブに火を入れて暖を取り、身の回りの整理整頓を少しだけやりました。流れてくるラジオやテレビの音や映像も近づく年末に向けて掃除やクリスマスの話題が次第に多くなり、自分自身も「掃除」「整理」「整頓」などの思いが断片的に頭に浮かんで、柄にもなく書斎を片付けました。

 「一年に一度も見ない資料は処分する」のは整理整頓の常道でしょうが、長年生涯教育やまちづくり、金融広報の仕事に携わっていると、捨てきれない資料がどんどん溜って捨て切れず、紙ごみのようになっていて、一日の中で資料を探す時間が長くなっているようなので、昨日は思いきって捨てる事にしました。たった午前中の2時間程度の時間なのに捨てる事を決意した紙ごみは大きなゴミ袋に2袋もありました。本当は資源再利用の立場から紙ごみとして出したいのですが、オープンにすることもできず月曜日には他のゴミと一緒に出す予定なのです。

 これまでうず高く積まれていた机の上がすっかり綺麗になりました。息子が買ってくれた大きな机が狭く感じられていたのですが、再び広くなって書斎での存在を誇示しているようです。

 すてきれないもに手紙やハガキがあります。一日三枚のハガキを書く事を日課にしている私の元へは郵便局員さんも驚くほど沢山のハガキや手紙類が舞い込んできます。2~3日家を空けると驚くほどの未処理郵便物が溜るのです。雑誌類や新聞類、ダイレクトメールなどは分類し直ぐに処理できるのですが、ハガキや手紙は捨て切れず、机の下の段ボール箱に一応収まりますが、その暖バールが直ぐに一杯になって捨てきれないのです。

一時はダイソーで買った100円のハガキフォルダーなどを利用して整理整頓していましたが、その量が半端ではないため直ぐに一杯になって、いつの間にか紙袋に入れて煙会所の押入れに入れる羽目になりました。しかしこれも限界があるので、そろそろ年末処分の対象になるようです。

 うちわ風のハガキも今年は10枚以上、規格外の杉や檜のハガキも10数枚、変わったものには石や葉っぱのハガキもあります。これは絶対捨てまいと書斎のカーテンの上に差し込んでインテリア風にしていますが、これも限界のようです。

 もう一つ捨てきれないものに私が載っている新聞や雑誌があります。最近は私の行動もすっかり全日本的に広くなっているため、行く先々で新聞や雑誌、記録集にまとめられて送られてくるのです。その都度スクラップしているのですが、この量も多くてスクラップブックも手一杯です。パソコンの普及で私の記事は氾濫気味なのです。それでも私を載せてくれた相手の事を思うと無造作ながら大きなダンボールに入れられ書棚の上に眠る結果になっているようです。

 ハガキも新聞や雑誌の記事も、もう少し整理整頓の方法を考えてみたいと思いますが、何か良い妙案はないものでしょうか。

  「俺の部屋 絶対量が 多過ぎる もっとシンプル もっとスモール」

  「捨てきれぬ 一枚ずつを 読みながら やはり残して うず高く積む」

  「今頃は あの人何を してるかな 旅で出会った 顔々思い」

  「よしやろう 決断するも 左から 右へ動かす もどかし掃除」 

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shin-1さんの日記

○忘年会

 「若松さん、今何してる?。私たちは忘年会で○○さんたちと○○で飲んでるの。ちょっと電話変わるね。」などと、忘年会の宴会の席から携帯電話が多くかかる頃になってきました。こちらは真剣な会議をしているというに、ポケットの携帯バイブレーターが振動しっぱなしで困ってしまい、結局は「ちょっと失礼」と会議を中断して外に出て、「会議中なので後でかけ直します」と小声で対応し部屋に戻ることなどしばしばなのです。こちらは真剣に会議をしているというのにあいつらはチクショー」とも思ったりもしますが、まあ酒の席の戯言だし、酒の席にせよ私を思い出してくれるのは嬉しい」と思いつつ、会議が終わって電話を入れると、相手のボルテージは最高に上がっていて、電話ながら絡まれることだってあるのです。

 昨日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に1回の運営委員会があり、今年最後の会議なので終了後街に繰り出し忘年会をやりました。大酒飲みだった昔は11月頃から年末まで、「あなたは松山から通っているの」といわれるほど毎日のように忘年会と称して酒を飲んでいました。「相手変わって主変らず」と妻がいうように相手は変わるものの自分は変ることなく飲んでいました。その回数や酒の量も半端ではなく、今だったら完全に酒気帯び運転でひっかかるような状態で職場に行っていたようです。

 酒を飲むと運転できないため妻が「10円タクシー」と名前を替えていくら遅くなろうが松山まで迎えに来てくれたものでした。帰りには小腹が空いたと言っては途中ラーメン屋に立ち寄り、ビールを飲みながらラーメンを食べ、飲み足らないと言っては家に帰ってビールを飲み、そんなやんちゃ坊主のような男に飽きもせず付き合ってくれた妻は偉い人だとつくづく感謝をするのです。あの時飲んだ酒代は「亭主持ち逃げ」という項目で妻の家計簿に記帳されているので、妻の昔の家計簿を見るのが怖いくらいです。

 酒を止めたのだからあの時の飲み代はお金が残るはずだのに、やはり昔の諺のように「下戸に建った蔵がない」のでしょうか、一向に金など貯まらないのです。それでも考えてみれば先日出版した「夕やけ徒然草」という本も、自分のポケットマネーでどうにか出版始末が出来たのですから、酒を止めた効果は絶大なものがあるようです。酒が文化に変わった典型かも知れません。

 昨日は事務局の松本さんがみんなの意見を反映して鳥料理の専門店を選んでいました。このところ体の都合で肉料理など殆ど食べない私ですが、鳥刺しからモモ肉焼き鳥、酢物、鳥サラダ、鶏飯までこれでもかと言わんばかりの鳥にこだわった料理を堪能するほど食べました。美味しかったのでついつい食べ過ぎたかな?と思うほど食べ、ウーロン茶も2杯飲んで、腹がはちきれんばかりでしたが、風邪回復の手助けにはなったようです。

(これが特区で造った噂のドブロク「なっそ」です。県知事さんもその味を推奨しているそうです)
(酒は人を呼ぶのです。酒好きの清水さんもご満悦)

 昨日はいつになく話が盛り上がりました。というのも宇和島市津島町の森田さんがドブロク特区で仕込んだドブロクを持参していたからです。「なっそ」という南予の方言【何故=それがどないしたん】というよな意味だそうですが、前日愛媛県知事が試飲する姿がテレビで紹介されていたため、関心が高く、盃一杯程度の試飲なのに群がって味わっていました。酒を飲まない私も話のネタに試飲したかったのですが、飲酒運転になっては大変と自重し、鼻で匂いを嗅ぐ程度に留めました。

 午後9時でお開きでしたが、若者組や酒飲み組は三々五々夜の街に消えて行ったようです。私は今日から国立大洲青少年交流の家で始まる「大人を考えるフォーラム」の実行委員長として泊り込みの研修に出かけなければならないので、誘われましたが付き合いが悪いと思われながら後ろ髪引かれながらも10時前に帰宅しました。「まあ早かったのね」は妻の弁、「いい旦那でしょう」と自画自賛し玄関の内鍵をかけました。

  「忘れたく ないのに何故か 忘年会 これほどやると 忘れ過ぎます」

  「ドブロクを 特区で造った 試飲会 飲めぬ私は 匂い嗅ぐだけ」

  「酒飲まず 貯めたお金で 本を出す 今年も私 いい年でした」

  「飲んでるの 携帯電話が 雰囲気を 伝えてくるも こちら会議で」

 

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