shin-1さんの日記

○この道はいつか来た道(4/20・下家地中家地地区)

 国道441号とはいいながらまるでその名には似ても似つかぬ国道ならぬ酷道というに相応しい細い道が四万十川に沿って伸びていますが、すっかり見慣れた山並みを縫うように今回も走って四万十市旧西土佐村へ入りました。二十年にわたってこの村を訪ねているのに不精者の私は未だにその姿をカメラに収めることもなく、ただいたずらに時を過ごしていました。今回の20回の旅はその反省もあって、デジカメラを持ち込んでの旅日記となりました。ちなみに先月からの過去3回は既にブログで西土佐村の美しい姿を配信していますが、読まれた方々から好評のメールが幾つか届いて、思わぬ反響に驚いているところです。

 町や村の顔は何といっても役場です。今は四万十市西土佐総合支所と長ったらしくもいかめしい看板が玄関に掲げれれていますが、日本全国一律なここにも対等合併の苦肉が現れているようです。

?支所入り口に「更なる飛躍を」と書かれた閉村記念の碑が建っていました。昭和30年の市町村合併から半世紀に渡って築かれた旧西土佐村への思いが強く伝わり、胸に迫ってくるような一抹の寂しさを覚えるのは、わが町にも同じような記念碑が残り、その碑文原稿を書いた記憶があるからこも知れません。

 到着予定の時間までの束の間を利用して、村のシンボルである西土佐大橋を渡ってみました。まるで虹

のように架かった大橋の下には、最後の清流と呼ぶに相応しい四万十の悠々とした流れが見えました。このころの四万十は水量も多く、ある風景は女性的で、またある風景は一転して男性的な姿を私たちに見せてくれる川の一番美しい季節かもしれません。

愛媛県から流れてきた広見川と四万十川の合流する西土佐の中心地は背後に山を頂きまるでユートピアを感じさせてくれました。

 橋を渡った所に看板がありました。たもとにはカヌー館や公園が整備されていましたが、間もなく梅雨が明けると多くのキャンパーで賑わうことでしょう。

 村としては粋なお店のすし屋さんで夕食に美味しい寿司を食べました。付き出しに出された田舎らしい木綿どうふもこれまた絶品で、豆腐好きの私としては美味しいご馳走でした。

 今日の集会の家地地区は先日立ち寄った西ヶ方と同じ橋を渡り左に曲がると何とも素敵なJRの橋が見えました。片方が木陰で隠れているのでまるでめがね橋のような雰囲気です。

 地区内に入ると何か懐かしい雰囲気が漂ったのは、二十年も前にこの地を訪ねたことがあるからでした。野塾というまちおこしグループがあってその連中の中に歯科診療所に勤めていた女性がいました。もう音信も途絶えていましたが「この道はいつか来た道」と感じました。

 集会の会場となった施設は元学校の体育館で、今は児童数の減少により奥屋内と同じく休校になってました。学校の運動場夏草が生え、子どもたちが手を洗ったであろう流し場が往時の姿をとどめていました。ふと見上げた校舎の軒先に休校になったにも関わらず時を告げる時計が印象的に寸分の狂いもなく午後7時20分を指しておりました。

 学校の入り口に開校百年の記念碑が寂しく建っていました。この学校から多くの人が巣立っていったことでしょう。体育館の中に入ると小学校の校歌が張ってありました。丁度作詞をした人も見えられ、田舎から人が減る摩訶不思議な現象に首をかしげ、感慨深げな話となりました。

 顔見知りの吉岡のおばちゃんは鮎の甘露煮をお土産にくれたり相変わらずの人なつっこさで、大きな感動を得たのです。この日の話は人生の生活設計がなければ自立する人間も自立する地域もないことを力説しました。人数こそ少なかったのですが、意味のある集会でした。

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