人間牧場

〇漁師の気風

 私は家業であった漁業を継ぐべく、高校は何の疑いもなく宇和島水産高校を選びました。大学進学の時期に親父が病に倒れ、ふるさと双海町へ帰郷して7年間漁師をしました。その後体調を崩して役場に入りましたが、高校時代遠洋航海で珊瑚海まで出漁したり、漁師時代に培った気風はその後の生き方に大きな影響を与えました。私は伊予灘を漁場とする小型底引き網でしたから、早朝1時に起きて漁場へ向わなければならないため、早寝早起き癖がつき、その癖でしょうかあれからずっと、早朝1時ではないものの朝4時に目が覚めて一日が始まる習慣を毎日繰る返しているのです。

 漁師は魚を獲るのが仕事ゆえ、場所と潮時を選ばなければなりません。まったく同じ場所に網を入れても、潮時を間違えると魚は獲れないばかりか、網まで破ってしまうのです。最初はそのことが分らず不漁を嘆きましたが、そのうちまるでジグゾーパズルのような幾つもの条件を組み合わせると、魚が獲れることが本能的に身につき、自分だけにしか分らないオリジナルな魚を獲るためのストーリーが出来上がるのです。「漁師は魚が獲れなければ狙う魚を変え、道具を変え、場所を変え、潮時を変える」、これが漁師の知恵なのです。「魚が獲れない」ことを人のせいや日和のせいにしない生き方は、仕事を変ってからも随分役に立ちました。

 私は35年間役場に勤め、教育委員会で社会教育、産業課で水産、企画調整室でまちづくり、地域振興課で地域活性化を担当、退職してからもこの12年間、人間牧場を中心に充実した生き方ができたのは、若い頃身につけた漁師の気風のお蔭だと感謝をしています。長年傍で見てきた妻は私のことを「マグロのような人間」と言います。私にとっては、最大の賛辞だと思っていますが、マグロは死ぬまで休むことなく泳ぎ続けます。多分目標としている85歳まで、少なくとも後13年間はマグロのように人生の荒波を元気に泳ぎ続けることでしょう。これって幸せかも・・・。

  「若いころ 漁師経験 したお蔭 六感働き 大いに羽ばたく」

  「幸せは 南(みな身)にあると 教えられ マグロのように 泳ぎ続けて」

  「人生も 残り少なく なってきた これから大事 一生懸命」

  「元漁師 私の肩書き 誇らしく これから先も 名乗り続ける」

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