人間牧場

〇年輪塾第三回目の学習会(その2)
 日本を変えたジョン万スピリッツ2

足摺岬に建つジョン万次郎の銅像
足摺岬に建つジョン万次郎の銅像

 四国の最南端足摺岬には灯台と四国霊場八十八ヵ所のお寺があります。その中ほどに今回の集合場所となっている、ジョン万次郎の銅像がありました。私はこれまでにも度々この地を訪れ銅像を見ていますが、高知県には室戸岬に中岡新太郎、桂浜に坂本龍馬、足摺岬にジョン万次郎の銅像がそれぞれ建っていて、これ以外にも多くの偉人や歴史上の人物の銅像があるようで、その一部始終がジョン万次郎の銅像の横に紹介されていました。今回は年輪塾のテーマが奇しくもジョン万次郎であるだけに、出会いも一入で、各地から集まった年輪塾参加のメンバーは、銅像を見上げながらしばし紹介文を読んで納得したようでした。

白亜の足摺岬灯台
白亜の足摺岬灯台

 そのうち全員揃ったところで、高知県の今回の世話役である和田修三さんの案内で、足摺岬の灯台見学に出かけました。高知県馬路村から参加していた木下さんは、ヒザの不自由な西田和子さんの手を引いて優しいところ見せてくれました。足摺岬は高知県でも一・二を争う観光地ですが、高速道路が延伸したとはいえ、さすがに遠く、かつての賑わいは殆どなく、土曜日だというのに散閑としていました。ツバキも既に散っていましたが、黒潮の恵みとでも言うのでしょうか、断崖絶壁のあちこちには早くも、夏の花である白百合が可憐に咲いていました。眼下に見える穏やかな太平洋の海の色も紺碧で、沖合いを貨物船が何隻か航跡を残して走っていました。

黒潮踊る太平洋
黒潮踊る太平洋

 白亜の灯台はやはり足摺岬のシンボルで、初夏の晴れ渡った青い空に、すっくと立っている姿は何ともいえない姿でした。お寺へもお参りして元来た道を引き返し土佐清水の市内にある中央公民館2階のホールを借り受け、本番の年輪塾を開講しました。過去2回に引き続き講師を務めてもらっている青野博さんから一時間ほど、①江戸幕府の鎖国政策と海外事情に関する情報収集、②ペリー来航時に万次郎の果たした役割、③万次郎のアメリカでの足跡とアメリカでの万次郎に対する評価について、レクチャーを受けました。その後参加者からクジ順に沿って、一人3分ずつスピーチを行い、青野講師が様々な角度から指導のレクチャーをしてもらいました。最後は私が前回質問した④万次郎の宿命と運命についてまとめも講義を受けました。

 私が前回の年輪塾で青野講師に送った質問は次のとおりでした。
 「万次郎が漁に出て、漂流したのは1841年、私も122年後の1963年(昭和38年)1月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗船して遠洋航海の帰路途中、伊豆半島沖で大時化に遭い、死を覚悟しました。万次郎の人生は漂流によって宿命が運命に変わりました。私もこの航海が宿命から運命に変わったような気がするのです。万次郎の運命と宿命についてみんなで議論したいと思っています」。

                           平成24年12月15日 第2回ジョン万塾

  ①14歳までの万次郎は漁師の長男、貧乏、僻地漁村という宿命を背負っていた。
  ②漂流、鳥島漂着、捕鯨船救助、ホイット・フィールド船長との出会いが宿命を運命に変えた。
  ③漂流から帰国までの9年と帰国後隠居までの20年は自らの力で運命を切り開いた。
  ④隠居から71歳の生涯を閉じるまでは、家柄もなく、学歴もなく漁師出身のなり上がり者として自由  
   平等とはいながら、大都会東京社会の冷遇で宿命の28年の晩年を送ったのではないか(私の推測)

  「ジョン万を ただひたすらに 研究す 講師のち密 だだただ感心」

  「宿命を 運命にした きっかけは 漂流流れ 着いた鳥島」

  「足摺の 岬に立ちて 紺碧の 海を見ながら 先人思う」

  「歴史上 生きた人とは いいながら 自分ダブらせ 生き方学ぶ」

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