人間牧場

 

書棚の前で話す私
書棚の前で話す私(その後書棚は本で一杯になりました)

〇本に囲まれた知的空間の中で

 人間牧場の壁面に備え付けの大きな書棚があります。人間牧場を造る構想を練っていた頃、自分の書斎の蔵書を人間牧場へ移動することを考えました。それというのも35年間の役場での仕事の合間を見つけて買ったり貰ったりした多くの本に、埋もれるように日々を暮らし、手狭になっていたし、妻から本の整理を再三再四注意されていたこともあって、一度ゼロに戻したいとの思いもあったのです。水平線の家の設計を頼んだ長男息子と、新築工事を頼んだ大工さんに相談し、3間もある長い4段の書棚を作ることにしたのです。かくして集成材の広い板で書棚は目論見通り出来上がりました。さあ本類の大移動です。暇を見つけてみかん収穫用のキャリーに本を無造作に入れ、軽四トラックに積んで何回か家と人間牧場を往復し何とか運び終えました。本をキャリーに入れる度、本を書棚に並べる度に手にとって、手に入れたり読んだ日々が懐かしく、中々仕事ははかどりませんでしたが、やっとの思いでそれなりに片付けることができました。

 可笑しいもので、それまでただだだっ広いだけだった水平線の家は、片方の壁面書棚に本が並んだだけで、すっかり知的空間に生まれ変わったのです。以来重要な本以外は読めばまとめて水平線の家へ運ぶように心がけているため、書斎の私の書棚はすっかり片付き、逆に最近は息子の蔵書が私の書棚を横取りされているようです。私が人間牧場の中心施設として水平線の家を思いついたのは、前面北側に張り出したウッドデッキに背もたれ椅子を運び、その背もたれ椅子に寝転んで風のささやきや小鳥の鳴き声を聞きながら、本を読んだり寝転んで昼寝を貪りたいという思いもあってのことなのです。今は忙し過ぎてその夢は必ずしも実現してはいませんが、時々人間牧場へ出かけて農作業をした後、休憩を兼ねてその夢を味わっているのです。
 書棚に収まっている本の中には、読み始めたのに途中で止めていたものや、読んだ記憶が薄れているものも沢山あって再読をしていますが、歳ゆえの曖昧な記憶ゆえ、再読は死ぬまで続くものと思われます。

 水平線の家の北側は、自慢の観音開きの大きな窓がありますが、窓ガラスにUVカットの加工をしていないため、紫外線が入って直接陽は当たらないものの、天然紫外線の影響で本は日焼けして、変色しているものも多いようです。まあ変色しても文字が消えるほどではないので、私の寿命であるあと20年くらい読めればいいので、気にすることもなく、カーテン類を取り付けずに放置しているのです。
 そんな書棚の中から「決断の時」という一冊の本を見つけました。非売品なので誰かからプレゼントされたものと思われますが、「決断を迫られた時に読む本」というリード文に誘われて速読をしました。有名な人のショートな言葉が座右の銘的に沢山か書かれていました。何の変哲もない退職後の余生を生きている私のような人間でも、毎日多かれ少なかれ決断をして生きています。在職中のような胃が痛くなるほどの大きな決断はありませんが、それでも「はてどっちの道を行こうか?」とか、「何をしようか?」と迷っている時、おおいに参考になる言葉が沢山載っていました。
 本の最後のページに「面白いな。どこに座っているかによって、物事は見え方が違うからな。」、これはボーン・アルティメイタムという映画に出てくるCIA幹部ノア・ヴォーゼンの言葉だそうです。同じ事柄でも、どこから見るかによって異なってきますが、そのことには中々気がつかないものです。建国200年のアメリカで見た、世界地図の真ん中に日本のない世界地図」のことを思い出しました。

  「凡人を 自認の私 牧場の 知的空間 それなり学ぶ」

  「読んだはず だけど忘れて 再読を 新し発見 またまた一つ」

  「書棚には 私のブログ 殆どを プリントアウトし 一角占める」

  「いつの間に 書斎の周り 本だらけ 草々移動 せねばなるまい」

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